生活

遠くの目 “恨を超えた声” パンソリ、説経節、盆踊り

放浪漂泊の旅芸人たちによる、パンソリや説経節など説話物語の世界とライブ・パフォーマ ンスが融合してつくりだす至高の個性の実現と魂の浄化。そのような視点を核心において民 衆の芸能を書き直すことには、大きな可能性がはらまれている。

日本でもヒットしたイム・グォンテク監督の『風の丘 を越えて/西便制』(1993年)は、韓国の国内外で パンソリへの広範な関心を引き起こしたが、もっ とも強い印象を残したのは、旅芸人たちの芸と生とのあ いだの残酷な葛藤を描写しながら、“恨を超えた声”を求 道する宿命のようなものであった。そこでこの小論では、 “恨を超えた声”というテーマに触発された思いつきを、 私の研究のフィールドからいくつか述べてみたいと思う。

門付け
パンソリや日本の説経節など、説話物語の登場人物た ちは、必ずしも類型的に描かれているわけではない。し かしあらかじめ説話物語のフォーマットは決まっている。 そのなかで、予定されている過酷な運命に個性をあたえ て、登場人物たちの一挙手一投足を輝かすのは、芸人の パフォーマンスである。
 私はこの十年近く、被差別の芸能民たちによる芸能に ついての調査にかかわってきた。私がもっとも触発され、 その歴史や芸態、往時の活動の拡がりについて調査し、 さらに、実際におこなわれている門付けに同行すること ができた徳島県に伝承する人形廻し――「阿波木偶箱廻 し」――を例にとろう。
  門付け芸能としての「阿波木偶箱まわし」は、正月から 2月(旧暦の正月)ぐらいにかけて、徳島県を中心に、四 国一帯で集中的に990軒にものぼる檀那を回り、新年の 祝福芸を披露する。箱廻し芸人は二人か三人で一組にな り、二つの木箱に木偶(人形)、衣装、御幣を入れ、ひとりが木偶を操り、もうひとり(あるいは二人)が鼓を担当 する。実際に門付け芸を担っている「阿波木偶箱まわし保 存会」の保存会長であり、木偶まわしを担当している中内 正子さんは、ふだんは温厚で聞き上手の女性だが、祝詞 を唱えながら木偶をまわしはじめると、顔色が次第に白 くなってくる。神の代理人であるばかりか、神そのもの でもある木偶人形による神事芸能を披露しながら、中内 さん自身が木偶と同化し、祝詞と謡の詞章が憑依してく るかのようである。そこに立ち会うことで、人びとは旧 年の悔悟や煩悩を払い、新しい年を招きいれる。そこに はライブ・パフォーマンスとしての門付け芸能の真骨頂が ある。
 『風の丘を越えて』では“ 〈恨〉(の情念)を超えた声”が 前人未到の芸域として設定され、「春香歌」の〈幽霊〉や「沈 清歌」の〈舟人が去る〉が唄われていた。それはパンソリの 世界観と歌い手が混然一体となった至高かつ至福の領域 であり、無比の個性の造型である。そしてその声に立ち 会うことで、苦悩にみちた私たちの魂は浄化される。
 放浪漂泊の旅芸人たちの過酷な生と芸道の追求は、必 ずしも遠い過去に存在した習俗ではない。1960年代末 に日本の演歌界に突如あらわれた藤圭子という歌手は、 二十歳前にしてすでに夜の女たちの情念を表現する声で 一世を風靡したが、彼女は盲目の三味線芸人である母と、 浪曲師の父を持ち、小学生のころから極貧の旅回りの生 活を送っていた。藤圭子は、今日、宇多田ヒカルの母と して紹介されることが多いが、私にとっては、中世に誕 生した説経節の系譜を引く、放浪漂泊の芸能民の直系の表現者である。そしてその声には、門付けの芸能やパン ソリの唄い手たちと同様の無比の個性がある。

盆踊り
 ところで、説経節など説話物語の世界とライブ・パフ ォーマンスが融合してつくりだす至高の個性の実現と魂 の浄化は、かならずしも天才的な個人によって達成され るばかりではない。それは演者と聴衆の区別がなくなる 集団的な営みによっても形成される。そのことを、大阪 府下の泉州地域と北摂地域の被差別部落における盆踊り を題材に紹介しよう。
  1982年から83年にかけて、大阪府下の全被差別部落を 対象に民俗調査・聞き取り調査がおこなわれ、それによっ て、泉州地域と北摂地域の盆踊りの特徴が明らかになっ た(部落解放研究所編『被差別部落の民俗伝承[大阪]古老 からの聞き取り』上下二巻、解放出版社1995年)。
 念仏踊りを原型とする盆踊りでは、集落内の広場に櫓 が組まれ、その舞台で演奏される音頭にあわせて、住民 たちは回りながら踊る。この音頭にかかわって、大阪の 泉州地域・北摂地域では、説経節をモチーフにした人形浄 瑠璃が題材となっていることが多い。しかもこの音頭は さらに、「さんや」と「くどき」の二系統に大別される。  「さんや」はその音頭が一節ごとに完結する小唄形式 で、泉州地域独特のものである。これに対して「くどき」 は、浄瑠璃の物語的な内容を七七または七五の音律にの せて長々と口説いていくものである。「さんや」の語源に ついて、民俗学者の折口信夫は、菩薩の化身を待つ「廿三 夜」「廿三夜待ち」に由来していること、それが死霊・生霊 を呼び寄せる意味に転化し、念仏踊りとしての「盆の祭 り」の本来の目的に合致した名称となったと述べている。 実際、「さんや」のなかには、徹夜で踊り明かした明け方 に、しめやかな音調で踊られるものがある。
 盆踊りの音頭は、説経節の「くどき」と、死霊・生霊を 鎮護する「さんや」の二重構造から構成されている。「くど き」を通して説経節の世界に心身が同化する。つぎに「さ んや」によって念仏踊りの本貫に立ち返る。この二段階の プロセスを通して、理不尽な差別や不遇に対する憤怒・懊 悩を鎮め、同時に祖霊や無縁の怨霊・亡者の魂も鎮めるの である。
 盆踊りは集団的な祝祭でありカタルシス=魂の浄化の 行為である。それによって可能になる憤怒や懊悩の鎮静 化は、一瞬である。とはいえ、ここには感情のしこりが 積み重なってできた情念に向き合い、それをまるごと抱 えるための境位に達しようとする営みがある。それは“恨 という情念を越える声”を発しようとする行為に、どこか 共通している。むしろ、民衆の芸能とは、そうした情念 とのつきあい方にいかに習熟するかということに、常に 目的が置かれてきたといってもいいだろう。
 〈恨〉の芸能は、そうした営みの本来の姿を原型におい てとどめているが、そのような視点を核心において民衆 の芸能を書き直すことは、大きな可能性をはらんでいる。 そして何よりも魅力的である。

農家で門付けをおこなう阿波木偶箱まわし

農家で門付けをおこなう阿波木偶箱まわし

友常勉 ともつね・つとむ、東京外国語大学国際日本学研究院教授
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