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韓国文学の旅 作家評 書くことへの警戒と魅惑の間で

キム・ドッヒ(金㯖熙、1979年生)は、スタートラインに立ったばかりの作家だ。2017年に短編9篇を収めたデビュー作『急所』で、骨太で正確な文章と予想を覆す展開で、短編小説の真髄をみせてくれた。表題の『急所』は、収録作の一つのタイトルだが、小説と文学の核心を一気に突いて見せるのだという新人作家の野心にあふれた抱負が感じられる。

キム・ドッヒのデビュー作『急所』(文学と知性社発行)に収められている短編は、素材も主題も様々だ。この本から一人の作家のトレードマーク、または作風だといえるようなテーマの一貫性をみいだすことは難しい。もちろん、テーマの一貫性は下手をすると同語反復に陥る危険を内包するものだが、それでも作家が集中的に追及しようとするテーマや世界観は、一人の作家を他の作家と区別する表示としては具合がよいものだ。

彼の小説は素材と主題だけでなく、形式的にも多彩な様相を見せている。歴史小説にあたる作品があるかとおもえば、SF的な性格を持つ作品もあり、ハードボイルドスタイルのクールなリアリズム小説と幻想的な装置を活用した小説も共存する。これは作家が非常に幅広い才能を備えていることを示すとともに、まだ自分の声を探せずにいるという意味でもある。この新人作家は依然として模索中のようだ。

小説集は全般的に「何を」よりは「どのように」に比重がおかれるものだ。作家が小説を通じて言わんとする内容よりは、その内容をどのように語るか、その方式に主力するということだ。言い換えれば、キム・ドッヒは美学主義者だと言える。彼の小説が様々な主題と形式を備えていると言ったが、そのような異質性の中にも共通した特性として確認できるのが、熾烈なまでに綿密な精神だと言える。彼の小説はそれぞれの世界の中で完成度100%を目指している。どんな素材を扱おうとも細かな取材でリアリティを高めて、素材と主題にあった文体を駆使しようとする。たとえば、ならずものたちの暴力が乱舞する男たちの世界を描いた表題作『急所』は、主題にあったハードボイルドな文体で書かれている。

「この本に集められた作品を読みかえすたびに気分は複雑だった。まるで昔の自分の写真や映像を見ているようだった。そのときに還ってポーズや表情を変えるとか、服の乱れを直すことができないように、すべての文章はそのままにすべきだと考えた。加えたり、削ったりしないほうが良いと思った。そしてその間に、何が自分にこのような小説を書かせたのかを振り返った」。

「そのときに還ってポーズや表情を変えるとか、服の乱れを直すことができないように、すべての文章はそのままにすべきだと考えた。加えたり、削ったりしないほうが良いと思った。そしてその間に、何が自分にこのような小説を書かせたのかを振り返った」

小説の最後に掲載された「作家の言葉」にも完璧と美意識を追求する作家の才能がよく現われている。「何」を出し抜き「どのように」への関心は、この本の中のいろいろな作品で確認できる。表題作ではゴルフクラブで野生豚を捕まえるときの詳しい方法を描写した部分、『鎌が吠えるとき』では、筆で字を書く方法に関する詳しい説明、『刺網』では、艪をこいで舟を進める要領、『穴』では、鍼を刺すときの針を刺す人と、さされる人との交感と呼吸の重要性を強調した内容など、それぞれの該当分野で境地に達した人が体得したノウハウを含んでいる。これは結局、文を書くことに対する多彩な比喩であり、文を書くことに対する作家の自意識であり、文学的な出師表(註:出陣の際に臣下が君主に奉じる文書)だといえる。

その中でも『鎌が吠えるとき』は、キム・ドッヒの才能と力量、そして文学的な目標がよく現われている秀作だ。この作品は「私は字が読めない」という文章ではじまり、そして終わるという、最初と最後が同じ文章からなる構造だ。またこの小説は文を書くことに関する小説だという点で、メタ(meta)小説的な面も備えている。文字を読み、書くということがどのような意味をもつのか、また、文を書くことはできるが、読むことはできないという奇妙な境遇の深層について、興味深い事由をこの小説に見ることができる。

主人公は文字を読むことは出来ないが、描くように書き写すことには素晴らしいスキルを身につけた奴婢の身分だ。「世の中のすべてのものを写し取ることができ、虚空に散っていく言葉を完全につかみとることができ、頭の中に雪のように降り積もっていく考えを、消え去る前にとどめることができる」。「文字」を知ろうとする彼の欲求を父親が必死で止める。父親の考える文字というのは、家を滅ぼし身の破滅にいたる道だからだ。

父親の反対により文字を習うことを放棄した主人公は、その代わりに絵を描く事に邁進する。「鎌を描けばすぐに草を刈れそうに、犬を描けば今にも吠えそうに見えた」。彼の絵の実力は、文字を一字一字、絵のように描き移して「描く」水準に達するが、その才能を見抜いた主人が、彼に自分の書いた文章を書き写す任務を与える。筆耕士だ。「この者は文字を知らないので、おまえたちのように自分の書いているものにどんな些細な私見も入らないだろう」と、主人が他の門下生に言う言葉は、書くということに関するアイロニーな洞察を含んでいる。文には私的な感情を含めるべきか、含まざるべきなのか。

文とは透明な鏡のようで対象をあるがままに、そのまま写すべきだという考えがある。いくら透明できれいな鏡でもそこに映るものが対象それ自体ではないので、あくまでも歪曲され、歪んだ影に過ぎないという考えも一理ないわけではない。『鎌が吠えるとき』で、文字を知る主人と文字を知らずに、ただ絵を描くように書き写すだけの奴婢の主人公の関係は、文章を書くときの私的な感情をめぐっていろいろと考えさせるものだが、そうだからといってはっきりとした結論を出しているわけではない。ただ文字の危険性を指摘する主人公の父親の切迫した訴えだけは、簡単に無視できない切迫した感動を与える。

「両班たちはその鎌で人の首をはね、その犬を使い狩りをすることもできる。それだけだと思うか。その鎌が咆え始め。その犬が畦に飛び込み収穫するときが来るだろう。そうすれば世の中は混乱に陥る」。

奇妙に見える小説のタイトルは、まさにここに来て確認されるが、書くことに対する警戒と魅惑の間を行き来するようなこの小説の主人公の態度を見ていると、作家もまた依然として方向を定めることができないまま、戸惑い、模索する傍証なのかもしれない。

チェ・ジェボン 崔在鳳、ハンキョレ新聞記者

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