生活

日常茶飯事 靴を繕い、磨いて得る幸せ

かつてソウルの街角ならどこでも見かけられた靴磨き屋が、徐々にその姿を消し、今では探すことさえ難しくなってしまった。古いアパート団地の駐車場に、小さなコンテナの靴磨き店を構え、30年以上も一人で守ってきたキム・ソンボク(金成福)さんの日常は、単調ではあるが平穏だ。

キム・ソンボクさん(左)は1986年、ソウル市玉水洞のアパートの商店街の駐車場にコンテナで作った小さな靴磨き店を開き、今でも日曜日以外は毎日ここに出勤している。

人生最初の運・不運は両親にかかっている。ロベルト・ベニーニ監督の映画『ライフ・イズ・ビューティフル』に見られる絶妙な両親は、戦争さえも楽しいゲームにそらすことで、子どもが生き延びるという奇跡を起こしたが、反対に子どもの人生を戦場にしてしまう父母も少なくない。靴磨き店の主人ソンボクさんの幼い頃は、不運なことに戦争のようだった。

彼の故郷は韓半島の最南端、いわゆる「タンクッマウル(地の果ての村)」と呼ばれる全羅南道海南だ。貧しい農夫だった父は賭け事好きで、そんな夫のせいで母は塩と魚を売って何とか7人の子どもたちを育てていた。そしてソンボクさんは9歳のときにGMCトラックから落ちて左足をひどく痛めてしまい、そのせいで生涯、障害を背負って生きていくことになった。

「幼い頃から車を直すのに関心を持っていました。ある日、稲を運ぶトラックが故障して、その修理をしているのを見ていたら、運転助手がやって来て、手伝ってくれれば乗せてやるというんです。それで品物を運んでトラックに積んで、そしてエンジンをかけてあげたんです。ところがエンジンがかかると、約束を守らずにそのまま行ってしまおうとしたんです。それでトラックの後ろにしがみついたんですが、結局走るトラックから転げ落ちてしまいました」。

長い歳月が経った今、彼は「たくさんの靴を磨いたり、修繕したりしながら心の平安を取り戻しました」と笑った。

仕事の多かった昔は靴磨きで得る収入がはるかに多かったが、最近では靴磨きをする客の数が減り、靴の修繕で得る稼ぎが多いという。

一人で上京した少年
幼い頃、村の大人たちはソンボクさんに「その脚では農業はできないが、ソウルに行けば何とか食っていけるだろう」と上京を勧めた。その言葉を信じ家を出て一人で上京した。その時彼はまだ12歳だった。ソウル駅に到着しても、どこに行けばよいのか分からずにウロウロしていた少年は、不良のような頭をした人間の目にとまり「チクセ」として働くことになった。「チクセ」とはソウル駅近くの事務所を回って、靴磨きを頼む靴を集めてくる人間のことだった。それが、彼が靴とめぐり合う縁となった。

しかし「チクセ」は長い間できる仕事ではなかった。3年ほどして辞め、その後は新聞売りやガム売りなどをした。そうして家族もいないソウルで一人暮らしをしていると、たちの悪い友達も増えていった。真面目に生きていこうとしても、そういう友人たちがやって来ては誘惑するので、なかなか思い通りにはいかなかった。そんな時に、彼を支えてくれたのが幼い頃に近所に住んでいたイ・ユスク(李柳淑)さんだった。彼女も10代の末に上京していろいろな職に就きながら必死に暮らしていた。お互いの身の上を誰よりもよく理解できた二人は2年ほど交際し、ソンボクさんが23歳でユスクさんが20歳のとき結婚した。

「うちの妻みたいな人間はいません。結婚式もあげずに暮らしてきましたが、もし生まれ変わったとしても、また一緒になりたいです。これまでの長い歳月、妻も私のように一生懸命に働いてきました。家の壁紙貼り、工場のミシンがけ、家政婦など。休みなしに働いてきて、今でも縫製の仕事をしています」。

ソンボクさんは結婚後、靴磨きと修繕の仕事にだけ専念し、1986年満35歳のときに、ソウル市城東区玉水洞のアパート団地内にある商店街の駐車場の片すみに、小さな靴磨き店を開いた。それから今日まで30年以上、日曜日以外はいつも一坪ほどの四角いコンテナ製の自分の店に出勤する。雨が降っても雪が降っても、朝9時には店を開け、夕方6時に閉める。

ソンボクさんは賭け事好きだった父とは違い、責任をもって家長の役割をしっかり果たし、二人の娘を大学まで行かせた。そして娘たちは結婚し、今では三人の孫のおじいちゃんだ。彼の生活は戦場を抜け出したが、その一日は依然として軍人のように規則的で忙しい。毎朝6時半に起床し、自家用車で家から30分の店に出勤するのが日課となっている。

靴磨きの暗い未来
「店を開いた頃は、靴1足の磨き賃は1500ウォンでしたが、今は4000ウォンです。物価の上昇に比べれば安いほうです。昔はオートバイにカゴをつけて靴を集めに行くほど仕事も多かったものです。20年くらい前までは仕事が多くて、朝7時に出勤して一日中忙しく働かなければなりませんでした。磨かなくてはならない靴が店の前に20足ずつ積んでありましたから。おかげで二人の娘を大学に行かせることができ、暮らしも楽になりました。しかし、最近は靴を履く人もあまりいませんし、私も年をとって大変なので、オートバイで取りに行くことはしなくなりました」。

2005年に公務員の服装自由化が実施され、それと共にスーツを着なくても良い文化が社会全般に拡がり、革靴を履く人も段々と少なくなり、それとともに靴磨きの店も閑古鳥が鳴くようになった。

「いまや子どもも大人も皆、運動靴のような楽な靴を履いています。ですから靴磨きをすることもありません。もちろん未だに一週間に3、4回靴を磨くという常連さんもいますが、多くはありません。それに最近は歩き回る人が余りいなくなりました。みんな車に乗って移動するので靴が汚れることもありませんし。道もアスファルト舗装がされてきれいになりましたしね。昔は靴磨きで得る収入がはるかに多かったものですが、今では収入の半分は修繕で稼いでいますよ」。

彼はお客がいないときには散歩をするように近所を歩く。同じ場所で33年間靴磨きをしているので、どこに行っても知り合いばかりだ。彼が不在中に店に客が来ても心配は無い。お客は店のドアに書かれた彼の電話番号に連絡するからだ。ソンボクさんは健康が許す限り、今のように毎日店に出て働いていきたいという。ただ一つだけ残念な点があるとすれば、靴磨きの未来が明るくないということだ。

「この仕事は私たちの世代で終わってしまうでしょう。若い人たちの中にこの仕事を学ぼうという人さえいませんから」。

ソンボクさんの話のように靴磨きはもうすぐ無くなってしまうかもしれない。長い間、この国の人々の足を包んだチプシン(わらじ)が消え去ったように。近代以前、この地に暮らす大多数の人々は、ワラを編んでつくるチプシンを履き、お金のある人は革製の履物を履いていた。革靴やコムシンを専門に修繕するシンキリョチャンス(靴修繕家)は、19世紀末に登場したものと見える。ソンボクさんが生まれ育った1950年代、田舎の市場や都市の片すみにはシンキリョチャンスがいて、穴があいたり、裂けたコムシン(ゴム製の履物)に接着剤を塗ったあと、熱い鉄を押しつけて再び履けるようにしてくれた。20世紀初めの近代化とともに洋靴が広く普及し、コムシンはだんだんと僧侶や刑務所の囚人、田舎の老人だけが履く履物となり、シンキリョチャンスの仕事もその大部分が、革靴の修繕屋となった。そのシンキリョチャンスの末裔であるソンボクさんが、靴磨きの未来を心配している。

ソンボクさんの話のように、靴磨き屋はもう無くなってしまうかもしれない。長い間、この国の人々の足を包んできたチプシンが無くなってしまったように。

キム・ソンボクさんは靴にクリームを塗った後、布に水を少しつけて磨いていく。そうすることで深みのある光沢がでるからだが、このような方法を「ムルグァン(水光沢)」と言う。

素朴でも楽しい人生
「新聞売り、ガム売り、喫茶店の厨房掃除、東大門市場の服売り場でのラベル貼りなど、ありとあらゆる仕事をしてきました。理髪の技術も5年間習い、昌信洞の小さな縫製工場で婦人服を作る仕事もしましたが、長い間座っていると足が痛いので辞めました。いろいろな仕事の中で靴磨きが一番あっていたと思います。幼い頃に障害者となった身ですが、この仕事では十分に役立ってくれました。私は盗みもできず、事務はさらに難しく、遊ぶのも嫌いです。いつでも何か仕事をしなければいられないという性格なので、この仕事が私にはピッタリなんです」。

彼の一日は年中変わらない。違うことと言えば、夏には7時半に店を閉め、冬には6時に閉めるという差があるだけだ。人々を行楽にかきたてる春のお花見でさえも、ソンボクさんをコンテナボックスから連れ出すことはできない。もしかすると、彼には行楽自体が必要ないのかもしれない。12歳で故郷を離れてソウルに来て以来、彼の人生はいつも食べて寝るところを探し求めて見知らぬ土地をさまようという、非自発的な旅のようなものだったからだ。彼はソウル25区の区の数だけ引越しをしなければならなかった。彼が住んだことのない区は一つか二つのみだ。

「仕事中はお客が多いと気分が良く、お客が少ないときはひと休みし、家ではテレビを見ながら寝たり起きたりを繰り返し、家族と食事をする、それで十分ですよ。日曜日になれば妻と教会に行きますが、そんなに熱心ではありません。私は楽しく暮らしています。気に食わないことがあってもあまり気にしませんし。他人にやる物もなく、もらう物もなく、他人の顔色を気にすることもありませんから。そのせいか皆さん、私が年よりも若く見えると言ってくれます」。

ソンボクさんの辛酸だった過去の話しを聞いていると、韓国の童話『コンジュィとパッジュィ』と外国の童話『シンデレラ』が思い浮かぶ。過酷な運命にさらされながらも、善良な主人公は最後には幸せになるというこの古典物語の、悪運を幸運に変えてくれる鍵が、まさに「シン(履物)」だからだ。

韓国語では罰と福を与えてくれる神と人々が履く履物、どちらも「シン」と発音する。「神(シン)がいるのかいないのかは定かではないが、自分が履いているシンは確かだ。神(シン)を信じないで、自分のシンを信じろ」という言葉もある。数多くの靴を修繕したり、磨いたりしながら幼い頃の不遇から抜け出し、平穏な家庭の家長となったキム・ソンボクさんの口から、いつしか「ライフ・イズ・ビューティフル!」という言葉が飛び出しますように。

キム・フンスク 金興淑、詩人
河志権 写真
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