生活

日常茶飯事 西村の福徳房 人情あふれる不動産屋

最近の若者は家を探すのにもスマートフォンのアプリケーションを利用している。売りに出す物件を動画撮影し、ネット上にアップロードする不動産屋もいる。このように目まぐるしく変化する中で、大都市ソウルに未だに「町の寄り合い所」の役割を果たし、商才よりも正直さをモットーとして、誰かの住まいを探す手伝いをしている人がいる。

15年間経営している公認仲介士事務所の前で、西村について説明するチョ・ガンヒさん。

「ハラボジ(おじいさん)は白い髭をなでながら、近所の福徳房(ポクトクバン)に賭け将棋をうちに出かける。賭けに勝った日には、鼻歌を歌いながら両手に大きなスイカを抱えて帰ってくる」。フォークロック歌手のカン・サネが1993年に発表した『ハラボジとスイカ』に出てくる光景だ。

「福徳房」と呼ばれたその店は、土地・家屋などの不動産の売買や、賃貸契約を斡旋・仲介するという本来の目的に加えて「町の寄り合い所」という別な任務も担っていた。世間に向けて大きく扉が開かれ、誰でも気安く立ち寄れるそこには人々が集まり、世間話を交わし、人情が行きかった。町中の噂話がそこから始まり、さらに膨らんであふれていった。

誰かが困っていれば、その人を助けるために力を合わせた。嬉しいことがあれば熱々のチヂミにマッコリを傾け共に祝い、悲しいことがあれば肩を抱いて慰め合った。低い屋根が続き、人と人との距離も今より近かった時代の話だ。

低かった屋根が高くなり、天に届きそうな高層アパートが登場すると、町はもはや人情にあふれた場所ではなくなった。「公認仲介士事務所」という堅苦しい名前の看板に変わった福徳房も、それ以降は町の寄り合い所の役割はしなくなった。それでも世の中のどこかには、まだ昔のようにその扉を開いているところがある。人情にあふれた町の温かさと人の匂いを求めて、ソウル西村に足を向けた。

チョ・ガンヒさんがその日の取引内容を手書きで整理している。彼の店舗には一日平均3人くらいの客が来るが、10人中、1~2人の契約が成立するという。

こぢんまりとした古い韓屋
景福宮はソウルの五大王宮の中でも最も大きく壮大だ。この古宮の中心より北に位置する町を通称「北村」と呼び、西にある町を「西村」と呼ぶ。朝鮮時代(1392~1910)北村には、政治の実権を握っていた士大夫階級の両班たちが住み、西村には、訳官や医官のような専門職の中人階級が暮らしていた。有名な画家や詩人など、芸術家も西村の住民だった。現在、北村と同様に西村の韓屋も政府の支援で保存されているが、北村の堂々とした韓屋に比べて西村の韓屋はほとんどがこぢんまりしている。肩を寄せ合う韓屋の間を蜘蛛の巣のような路地が広がっている。その路地の一角に、15年にわたってチョ・ガンヒ(趙康熙)さんが経営する「中央公認仲介士事務所」がある。

「西村は都心に隣接していますが、後ろには山もあり、大きな公園もあります。家を売り買いして金儲けの投資をする人ではなく、この町が好きでここで暮らしたくてやって来る人がたくさんいます。一度暮らし始めると、他に移ることはあまりありませんね」。

この町の家はだいたいが65~100平方メートルほどの小さな韓屋なので、不便な点も多い。だがアパートでは体験できない長所もある。チョさんは韓屋の長所と短所をリストにしてお客に詳しく説明している。

「木、石、土のような自然素材で作られた家なので健康には良いです。家は落ち着いて安定感もおり、お隣さんともすぐに仲良くなれるでしょう。住居スペースが狭いものの、細々と調和よく味わいがあります。好みによっては庭をつくる楽しみもあるでしょうし、風通しもよく、季節の変化を感じることができるので退屈する暇がありません。その反面、環境に優しい素材なので虫がつきやすく、断熱、防音には向いていません。火と水に弱いという短所もありますが、修理をすればある程度は改善することができます。屋根、壁材、床などは周期的な補修が必要ですが、政府が無償で支援してくれるので、経済的な負担はありません」。

西村は大統領府の近くに位置し、1968年には北朝鮮の武装スパイが潜入した事件もあったので、1980年代までは厳しい警備がしかれ、一般人が住むには不便な町だった。町の入り口での身元の照会確認は基本で、住民以外の人間が泊まる場合は必ず申告しなければならなかった。

「戦闘警察が常駐して警備しており、開発も禁止され、制約も多かったので不便な点もたくさんありました。1990年代末に建築規制が緩和され再開発するという噂が流れ、人々が集まり始めました。それでも建てられるのはヴィラ程度でした。道路に面していれば7階建て、中の方は5階以上の建築許可は下りませんでした。2010年に韓屋保存地域に指定された時にはがっかりした人もたくさんいました。古い家を壊しても韓屋しか建てられなくなったからですね」。

したがってここは、高層ビルの林の中を人々が忙しく往来するソウル市内のど真ん中にありながら、「静かな島」のような存在となった。西村の時計はゆっくりと進む。今では、ゆっくりと歩くために、ビルの谷間に見え隠れする空ではない空を見上げるために、人々はこの町を訪れる。そういう「スロー」な町を真っ先に謳歌したのは北村だった。昔の姿を残す北村の韓屋の間に素朴で、可愛いらしい店が立ち並びはじめ、好奇心旺盛な若者たちがやって来るようになった。商売になるようになると建物のオーナーたちはテナント料を値上げした。高いテナント料に耐え切れなくなった店が一つ、二つと西村に移転を始めた。韓屋を改造して作ったゲストハウスも生まれ、外国人の姿も自然に目につくようになった。

彼の店には一日平均3人程度のお客が来て、10件のうち1~2件ほどの契約が成立する。気難しいお客もいるし、腹が立つこともあるが、この仕事で暮らしているので、その程度は我慢できる。

切羽詰まって選んだ職業
チョ・ガンヒさんはソウル生まれだ。学校を卒業し建設会社に就職した。その後大企業の下請け工場を12年間ほど経営した。しかし2005年、それまで彼の工場で生産していた電子製品の部品が中国で作られることになり、ある日の朝、工場は閉鎖せざるを得なくなった。社員の給料と退職金を用意するのに、多額の借金を抱えた。

「子供二人が大学に入学したばかりでした。お金を稼がなけなければならないのに、すでに50歳を超えていたので、転職先もありませんでした。そんな中、公認仲介士をしている従兄弟に出会ったんです。彼の話を聞き、自分もこの仕事をしてみようと決心し、専門学校に通い始めました」。

彼が52歳の時だった。

「当時、家内が食堂をしていましたので、朝食材を仕入れて食堂に運び、それから学校に行きました。一日4時間しか眠りませんでした。中学高校時代にそんなに勉強していたら、一流大学に行けたでしょうに。2006年3月に勉強を始めて、翌年の2月に試験に合格しました。必死でした。この試験に落ちたら子供たちを、大学を卒業させてやれないと考え、必死にならざるを得なかったんです」。

崖っぷちにしがみついているような心境で勉強をして一発で合格し、知り合いの不動産屋で見習い生活を終えた後、専門学校の校長のアドバイスにより西村に店を持った。そしてもう15年が過ぎ、彼は今も毎朝午前10時に事務所の扉を開ける。

「この仕事をする前には不動産に関心はありませんでした。一生懸命に働き、努力した分だけ金を稼いで生活するのであり、不動産投資をして金を儲けるという考えはありませんでした。それでここに店を出すときにも、専門学校の校長が推薦してくれたところだから大丈夫だろうと、迷うことなく決めて、今まで居続いけています。どこどこの地域がもっと良いとか、金になるなどという考え自体がありませんでした。しかし、この仕事をしてみて少し欲が出て、他のところに移ろうかと考えたこともありましたが、うまくいきませんでした」。

移ろうかと考えた所は、アパート団地がたくさん集まっている京畿道地域だった。アパートは世帯数も多く、お客の所望も明確だった。内部の構造も同じなので、あちこち何軒もの家を見て回る必要もなかった。直接見なくても図面だけで、どんな構造の家か分かるからだ。家の広さと階数、内部の状態だけ簡単に確認すればそれだけで良かった。一方、西村にある物件は一軒一軒歩き回り、直接目で隅々まで見るまではその事情はよく分からない。ところで、アパート団地内にある公認仲介士事務所の敷居は高かった。仲介者たちはグループを作って物件を共有するのだが、そのグループに加入するためには高い加入費を支払わなければならなかった。彼はその金額を準備できず、結局、西村に居続けることになった。

「顧客は当然、清潔で日当たりの良い家を望んで来ますが、ここら辺の家はどんどん古くなっていくのが問題なんです。それでも情が移って今はもう出て行く気になりません」

チョ・ガンヒさんはお客と家を見に行くたびに、韓屋の長所と短所を詳しく説明する。彼は西村の韓屋は規模は小さくても、素朴な味わいがあり、隣人と疎通しながら暮らす楽しみがあると強調する。

倫理意識
チョさんの一日は午前7時半に始まる。食事をして出勤の準備を終えて、8時半に家を出発し電車に乗る。彼はソウルの外郭にある平村新都市のアパートに暮らしているが、自宅から店までは1時間半ほどかかる。夕方7時半に店を閉めて家に帰ると夜の9時。土曜日にも、公休日にも同じ日常が繰り返される。

「最初は日曜日にも店を開けていたんです。年とともにだんだんきつくなりました。家族と過ごす時間も必要だと考え日曜日だけは休んでいます。日曜日には仕事をせずに家の掃除をしたり、登山をしたりゆっくり休みます。特別な趣味はありません。酒も飲みません。私の日常はこんな風です」。

彼の店には一日平均3人ほどのお客が来て、10件のうち、1~2件の契約が決まる。気難しいお客もいるし、腹の立つこともあるが、この仕事で暮らしていけるのでその程度は我慢しなくてはと思う。「良い家を見つけてくれてありがとう」と、手土産の飲料水をもって挨拶にくる客に対しては「お客さんの運が良かったんですよ」と誉める。「福徳房」は「公認仲介士事務所」になってしまったが、西村の人々は今も通りすがりに立ち寄ってお茶を飲みながら、世間話に花を咲かせる。ファックスを送ってあげたり、コピーをしてあげたり、登記簿の謄本をとってきてあげるなど、簡単なサービスも無料でしてあげる。インタビューの最中にも「トイレの便器が揺れ動くので大家さんに修理を頼んで欲しい」と訪ねてきた人がいた。

「仲介士は倫理意識をもっていなければなりませんね。投機を煽ることのできる職業だからです。皆がそうだと言うわけではありませんが、欲を出し過ぎると問題が起きます。私はほらを吹くこともできず、口も達者ではありません。公務員か先生のスタイルなんです。それでもこの職業が好きなのは、体を動かすことができ、頭さえしっかりしていれば仕事を続けることができるからです。定年はありませんから」。

スローな町西村でスローな人生を夢見る、幸運なお客がまた一人、この正直な仲介士のいる店舗の扉を開けて入ってきた。

ファン・ギョンシン 黄景信、作家
ハ・ジグォン 河志権、写真
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