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2018 WINTER

特集

K-ビューティ-成長産業と韓国の美
古画に見る女性の美意識

K-ビューティは一見すると、韓国の伝統的な価値観や美の形式とは隔たりがあるように感じられる。しかし最近の若い人たちも、韓服(韓国の伝統衣装)姿で古宮などを散策しており、伝統と無縁ではない。高句麗(紀元前37~668)の古墳壁画と朝鮮(1392~ 1910)後期の風俗画も、韓国女性の伝統的な美意識を視覚的に確認する上で良い手がかりになるだろう。

中国北東部・吉林省の通溝地域にある5世紀の高句麗の古墳「舞踊塚」の壁画の一部。食膳の準備をする二人の女性は、背が低く丸顔で、純朴な美しさが感じられる。

4~6世紀の高句麗の古墳壁画には、多くの女性が登場する。描かれた女性の身分は、王妃や貴族をはじめ、踊り子、楽師、侍女など様々だ。その中で太った人は、北朝鮮の黄海南道にある安岳3号墳の王妃と宮廷の女性しかいない。ほとんどの女性は小柄で、あごが丸く描かれている。

最も興味深いのは、壁画に登場する上流階級の女性だ。堂々とした体格で華やかな服を着ているが、あまり魅力的ではない。壁画を描いた当時の画工は、むしろ庶民の女性や幼い少女を魅力的に描写している。さらに、そうしたイメージをモチーフにして、空を舞う飛天像や日月像を描き、高句麗人の理想的な女性美を表現した。

ミス高句麗

そのような女性像の中で最高の「ミス高句麗」は、中国北東部・吉林省の通溝地域にある5世紀の古墳・舞踊塚の壁画に残されている。お膳や茶台を持って台所の扉を出る二人の女性だ。前を歩く女性は脚付きの膳「小盤」を、その後ろの女性は脚のない膳「平盤」を持っている。上着は白と赤のトゥルマギ(外套)で、黒い水玉模様。その下には、白い折りひだのスカートと赤いズボンがのぞき、ポソン(足袋)のような靴を履いている。実におしゃれな着こなしだ。この二人の女性は、しっかりした下半身で背が低く、丸く平べったい顔には純朴な表情を浮かべている。髪は、後ろで結んだり結い上げている。年齢は10代後半から20代前半と見られ、健やかな美しさが感じられる。

私は2006年5月、南北共同古墳壁画学術調査に参加した際、水山里古墳の壁画で清らかな高句麗の少女に出会った。そこに眠る夫妻が家族と共に曲芸を見る中、夫人の日傘を持つ侍女だ。壁画が崩れて鮮明ではなかったが、ほっそりした卵型の顔は、現代の美人像とあまり変わらなかった。まるで月夜に咲いた白い夕顔の花のように、うるわしい美貌だ。その絵を見ると、当時の高句麗の人々が、可憐で淑やかな少女の姿に女性の理想的な美しさを求めたと考えられる。

北東アジアで広大な領土を誇った高句麗。その国を建てた男たちの気概は女性が育てたといえるほど、強い女性が多かった。高句麗を建てたチュモン(朱蒙)の母ユファ(柳花)、チュモンの妻ソソノ(召西奴)、平民のオンダル(温達)と結婚したピョンガン(平岡)姫、唐との戦争で活躍した高句麗の将軍ヨンゲソムン(淵蓋蘇文)の妹ヨンゲソヨン(淵蓋蘇英)とヨンゲソジン(淵蓋蘇珍)などが有名だ。そのため、高句麗の女性は気が強いというイメージがあるが、壁画の女性は柔らかく繊細な線と色彩で端正に描かれている。

『端午風情』シン・ユンボク(申潤福、1758~?) 18世紀後半、紙本彩色、28.2×35.6cm朝鮮の後期の官僚であり、図画署(図画をつかさどる官庁)の画員でもあったシン・ユンボクの風俗画。陰暦5月5日の端午を迎え、ゆったりとした時間を楽しむ女性の姿が、流麗な描線で美しく表現されている。国宝第135号

ツーピース姿の女性

5世紀後半の高句麗時代に築かれたと推定される水山里古墳の壁画の一部。夫人の日傘を持つ幼い侍女の顔が、非常に清らかで美しい。

5世紀後半から6世紀前半に築かれた平安南道南浦市の双楹塚と江西郡の水山里古墳の壁画では、その前の時期よりも女性が細く柔らかな線で描かれている。また、それよりも古い通溝地方の壁画の女性に比べ、装飾性が増して洗練されている。そうした変化は衣服からも確認できる。折りひだのスカートは、トゥルマギのように裾に向かって大きく広がる典型的なAラインで、直線的な単純美が際立っている。

高句麗時代の衣服は、簡便性が特徴だ。特に庶民の女性の服は、質素でありながら優雅で、普段着としておしゃれだ。チョゴリ(伝統衣装・韓服の上着)やトゥルマギの襟や袖、裾は黒色や色違いの布で変化を加え、腰に帯を締めた。貴婦人用のセクトン(色とりどりの縞模様)スカートもあるが、折りひだのスカートは、ひだの細かい白色が多い。裾に色違いの布を当てたものもある。

高句麗人の服装は、男女共にズボンとチョゴリが基本だが、女性はズボンの上に折りひだのスカートを履くことが多く、チョゴリはお尻が隠れるほど長い。ズボンとチョゴリ、つまりツーピースは、世界の服飾史において最高の普段着であり、現在でも最も普遍的なファッションだ。ツーピース・ファッションは西洋から入ってきたため洋服と呼ばれるが、世界の美術史に初めて登場したのは4世紀の高句麗の古墳壁画だ。ツーピースの起源は、馬を駆った高句麗人なのかもしれない。

高句麗のツーピースは、上下で違う色を組み合わせる。白いスカートにワイン色やピンク色、あるいは濃い紫色のチョゴリなど、大胆で洗練された色使いだ。上下色違いの伝統は、色彩感覚を養うと共に、染色と織物の技術を発達させる要因にもなったのだろう。通溝の五盔墳4号墓の日月像を見ると、茶色の羽衣のチョゴリに黄色のスカートをまとった日の神に比べて、月の神は赤色の羽衣のチョゴリに緑色のスカートでとても華やかだ。このような赤と緑の補色対比は、高句麗後期の四神図の壁画にも多く用いられており、韓国人の代表的な色彩感覚といえる。

高句麗の古墳壁画の服飾は、朝鮮後期に完成して現代まで伝わる韓服の原型だと考えられる。

新羅(紀元前37~935)と高麗(918~1392)の服飾資料や絵画は少ないため、高句麗以降の変化を詳しく知ることはできないが、朝鮮時代にもチマ(スカート)とチョゴリのツーピースを基本として色違いの組み合わせをしているため、高句麗の伝統を受け継いでいるといえよう。大きな変化は、朝鮮後期にチョゴリの長さが大幅に短くなった点だ。また生地の色では、赤と緑の華やかな色使いは礼服用とし、普段着は藍染めを好んだという点も変化の一つだ。

シン・ユンボク(申潤福、1758~?)の絵画に登場する女性は、おそらく当時のファッションをリードした新世代だったのだろう。そうした新世代が19世紀前半に流行らせた藍色のスカートと白いチョゴリ(韓服の上着)の形や色使いは、当時のパリの女性の洗練された服飾美に通じるものがある。

美しさを求める本能

朝鮮後期の風俗画は、大きく二つに分けられる。18世紀の風俗画は、農耕社会における労働を中心に描かれている。これに対して、19世紀前半の絵画には都市の娯楽や風俗が収められており、明らかな違いがある。労働中心の風俗画には、主に経済活動や家事をする女性が登場するが、娯楽・風俗中心の風俗画では、散策や遊びを楽しむ女性が多い。前者を代表するキム・ホンド(金弘道、1745~?)の『檀園風俗図帖』、後者を代表するシン・ユンボク(申潤福、1758~?)の『美人図』や『風俗図画帖(蕙園伝神帖)』の絵画は、服飾事典といえるほど写実的だ。時期ごとの衣服の変化、着こなし、階級の区分がはっきりと表れているからだ。

このような風俗画の中で、特に朝鮮王朝の粛宗(在位1674~1720)から純祖(在位1800~1834)の時代に描かれた絵画を見ると、家父長制に基づいた慎ましやかな朝鮮の女性というイメージとは異なり、生活の中でそれぞれの美しさを積極的に表現している。朝鮮後期の女性の美意識は、その当時の士大夫(両班)中心の社会が求める性理学(儒学)の礼儀や制度とは相容れないものだった。スカートを持ち上げて腰に巻き、白い下履きをさらけ出したのも、当時の女性に求められた貞淑な姿とは程遠い。さらに身分制度に反する服を着たり、カチェ(朝鮮の女性用のかつら)禁止令に従わないこともあった。

また絵画の中には、タイトなチョゴリで上半身のボディーラインを強調し、生地を重ねて大きく広げたスカートで下半身を隠す女性もいる。か細い上半身に豊満な下半身を強調したスタイルが好まれたのだ。これは朝鮮後期の白磁の壺「タルハンアリ」の形態美を連想させる。上半身をぎゅっと引き締めて下半身をふんわりと表現した形態美は、当時ヨーロッパで流行っていた女性の衣服とも共通しており興味深い。

一方、朝鮮後期に女性が好んだ普段着は、青色が基本だった。服のスタイルは階級ごとに異なっていたが、色は一様に薄い翡翠色から濃い紺色まで藍染めが多かった。それはシン・ユンボクの『風俗図画帖』(全30図)に登場する女性の衣服でも確認できる。画帖に登場する女性の服の色を分析した結果、全女性70人のうち52人が青系の藍染めで74%を占めている。その他には薄い翡翠色、濃い紺色、その中間色などがある。

当時好まれた白いチョゴリと藍色のスカートという色使いは、生活の美意識を表している。青と白の組み合わせは、白地にコバルトで絵付けした青華白磁の流行と時代を共にしている。それは、白い雲が流れる澄んだ秋空を愛した朝鮮の人々の心に根差したものではないだろうか。その他に珍しいものでは、黄色のチョゴリに赤色のスカート、紺色のスカートにピンク色のチョゴリ、黄緑色や紫色のチョゴリなど、多彩で個性的な色もある。

シンプルな中に際立つ個性

『美人図』シン・ユンボク、朝鮮後期絹本彩色、114×45.5cmシン・ユンボクの写実的な美意識が感じられる絵画。か細い上半身に豊満な下半身、うつむき加減の表情は、艶めかしくもある。絵画の女性は朝鮮時代の上流階級の服装で、韓国の伝統的な美人像として広く知られている。 宝物第1973号

朝鮮の両班の夫人は、白いチョゴリの襟、袖、脇に色違いの布で変化を加えた。サムフェジャン(三回装)チョゴリと呼ばれるものだ。襟と袖にだけ色違いの布を当てたものは、パンフェジャン(半回装)チョゴリ、装飾のないものはミンチョゴリと呼ばれた。青と白の寒色の布が清々しく調和したチョゴリは、シンプルな中に個性を求めた色使いと構成が際立っている。さらに、ノリゲ(韓服の胸元に付ける装身具)、かんざし、後ろ挿し、トルジャム(婦人の礼装用のかんざし)、靴などの装身具は、チマチョゴリに優雅さを与えた。

サムフェジャンチョゴリは上流階級の女性の服だったため、風俗画ではあまり見られない。シン・ユンボクの画帖で、正式なサムフェジャンチョゴリを着ている女性は3人しかいない。全て両班の女性で、その他のパンフェジャンチョゴリやミンチョゴリの女性は、ほとんどが妓生(宮廷の宴会などで歌や踊りを披露する女性)や庶民の女性だと考えられる。

シン・ユンボクの『美人図』には、朝鮮後期の上流階級の美しい女性が描かれており、近代以前の韓国女性をうかがい知ることができる。絵画の女性を妓生とする見解が多かったが、サムフェジャンチョゴリを着ていることから、両班の女性と考えられる。20代とおぼしき女性は、きれいにとかした髪にかつらを付けて結い上げている。特に、明るい藍色のスカートに合わせた藍紫色のサムフェジャンチョゴリは、単純ながら華やかだ。赤紫のテンギ(リボン)と脇に当てられた赤い布は、女性の美貌を際立たせている。また、足を少し広げて丸みを帯びたスカートからのぞく白いポソンの片足、うつむき加減の表情は、どことなく艶めかしい。

シン・ユンボクの絵画に登場する女性は、おそらく当時のファッションをリードした新世代だったのだろう。そうした新世代が19世紀前半に流行らせた藍色のスカートと白いチョゴリの形や色使いは、当時のパリの女性の洗練された服飾美に通じるものがある。

その後の100年は、韓国にとって厳しい時期だった。20世紀前半の日本統治時代は、日本を通じて西洋文化を受け入れたが、当時のモダンガールやその後の女性は伝統美を忘れて他人をまねるばかりで、個性を育てることができなかった。しかし、それに続く100年である21世紀前半、そうした女性の子孫が巻き起こしたKービューティに世界から関心が集まっている。もしかしたら今の新世代は前の時代とは大きく異なり、韓国文化史において大きな地殻変動を起こして新しい歴史の1ページを刻む「新人類」なのかもしれない。

都心の化粧博物館で出会う 自然な美しさ

ソウル市江南区のコリアナ化粧博物館は、韓国唯一の化粧文化博物館だ。 K-ポップの中心地・江南で、韓国の化粧の長い歴史とK-ビューティの根源である自然な美しさに出会える。

ユネスコの世界の記憶にも登録されている17世紀初めの医学書『東医宝鑑』には、朝鮮時代の女性が、緑豆、大豆、小豆などの穀物を砕いて洗顔料として使用したという記録が残っている。米、オシロイバナの種、黄土、紅花の花びらなどの天然素材は、メイクアップ化粧品の材料として広く利用されていた。

韓国の文化には、自然に逆らわず混じり合おうとする美意識が込められている。このような特徴は建築、服飾、食文化にも見られ、化粧文化にもはっきりと表れている。韓国の化粧文化は、古墳壁画の人物や現存する遺物などから、紀元前1世紀にはかなりのレベルにあったことが分かる。高麗時代(918~1392)の10世紀には、造形美に優れた化粧容器や銅鏡が作られ、華やかな化粧文化が花開いた。

その後、朝鮮時代(1392~1910)には天然素材の化粧品が使われ、すっきりとした美しさを求める傾向が強くなり、自然な美しさという概念が定着した。このように韓国の化粧文化は発展を重ね、現代の技術力が伝統的な化粧品の天然素材から効能を最大限に引き出すことで、現代人をさらなる美しさへと導いている。

K-ポップとK-ビューティ

『青磁象嵌菊花紋母子盒』高麗時代、母盒の直径11.4cm、子盒の直径3.6㎝蓋全体に菊の花の象嵌が施された青磁の母子盒で、中に四つの子盒が入っている(盒:蓋付きの容器)。母子盒は、大きな母盒の中に小さな子盒をいくつか入れた化粧容器で、おしろい、口紅、眉墨などをしまっておいた。

コリアナ化粧博物館は、コリアナ化粧品の創業者ユ・サンオク(兪相玉)会長のコレクションを基に2003年に設立された。ユ会長は、ビジネスで海外の化粧品メーカーの関係者と会うたびに、韓国の優れた化粧文化が知られていないことを残念に思っていた。そのため、会社の経営と並行して伝統文化について学び、収集していたコレクションの幅も広げていった。

ユ会長はコリアナ化粧博物館の建設にあたって「生態建築家」と呼ばれたチョン・ギヨン(鄭奇鎔、1945~2011)氏に建築デザインを依頼した。自然な美しさを求める化粧品メーカーの経営者と、自然と人間の調和を求める建築家は、都心の庭園のような博物館を目指した。二人の夢がかなって、今やソウルの江南はK-ポップだけでなく、K-ビューティをリードするダイナミックな文化の中心地になっている。

天然化粧材料

博物館に入ってまず目を引くのは、昔の人が使っていた化粧材料だ。昔の化粧材料は今とは違うという予想とは異なり、今でも身近にある穀物や天然素材が展示されている。それらの材料は、ホ・ジュン(許浚、1539~1615)の『東医宝鑑』にも記されている。『東医宝鑑』は、各種疾病の処方箋を詳細に記録した朝鮮時代の医学書で、ユネスコの世界の記憶にも登録されている。疾病の治療以外にも化粧について栄養の供給、美白、老化の予防など肌の手入れをはじめ、おしろいによる鉛中毒や吹き出物の治療法なども書かれている。昔の人の肌の悩みも、現代人とあまり変わらないようだ。

博物館では、緑豆、大豆、小豆などを砕いた石鹸や、米、オシロイバナの種、黄土を細かく砕いたおしろいが紹介されている。興味深いのは、昔の人はおしろいをやみくもに使わなかったという点だ。肌の色に合った天然素材を探して、それをおしろいと混ぜて使ったという話だ。添加した材料によって、薄桃色から真珠色まで色とりどりのおしろいが作られていた。また、昔の女性がおしろいと共に入念に行った眉の化粧材料、紅花の花びらで作った口紅などを昔の方式で再現し、来館者の理解を深めている。

高麗時代(918~1392)の10世紀には、造形美に優れた化粧容器や銅鏡が作られ、華やかな化粧文化が花開いた。

『螺鈿漆鏡台』朝鮮時代横18.6㎝、縦25.5㎝、高さ15.6㎝正面は亀甲紋、左右の側面は山水紋が施された鏡台。鏡を立てられるように支えがあり、普段はたたんでおける。下段には化粧道具を入れる引出しがある。鏡台は女性だけでなく男性も使用したが、女性用は華角(牛の角を利用した装飾)や螺鈿など色彩豊かで華やかな装飾を多く施した。また用途も多く、男性用より大きい。

『宝相華紋鏡』高麗時代、直径18.9㎝裏側から円形の枠を付け、三つの宝相華(空想上の植物を組み合わせた花文)と茎を表現した銅鏡。宝相華の葉は、卵形で先が尖っており、一つの茎に十以上ついている。葉の間には丸い実も見える。このような宝相華のモチーフは、日本や中国ではほとんど見付かっておらず、高麗ならではの特色が込められている。

多彩な化粧容器

天然化粧材料は主に女性用だったが、香は男女共に愛用されていた。韓国の伝統社会において香の使用は、日常生活と密接な関係があった。香は体の臭いを消して、害虫から身を守り、心身の安定にも用いられた。ほのかな香りが長く続くように装身具に付けたり、たんすの中に入れておいた。博物館では、伝統的な香を嗅ぐこともできる。

このような伝統的な天然化粧材料は、ほとんどが個人の手作りだったため、一度に多くの量を作ることはできなかった。さらに、変質しやすく保管も容易ではなかった。そのため、化粧材料は小さな陶磁器の容器に保管していた。陶磁器は金属と違って通気性があるため、天然化粧品の変質を防ぐのに効果的だった。

博物館には、統一新羅時代(676~935)の土器から高麗時代の青磁、朝鮮時代の粉青沙器と青華白磁まで、化粧容器が時代ごとに展示されている。色や模様だけでなく、種類も油壷、おしろい壺、おしろい入れ、おしろいをこねる小皿など多様だ。そうした容器から、韓国の高い陶磁器製造技術と優れた化粧文化をうかがい知ることができる。

『宝石三作ノリゲ』朝鮮時代、長さ38㎝ノリゲは、朝鮮時代の女性が韓服に付けた代表的な装身具で、宮廷だけでなく一般庶民も愛用した。三作ノリゲは、それぞれ装飾が異なる三つのノリゲを一つにまとめたもの。最も華やかな形式で、一般的に琥珀、翡翠、玉などの宝石が用いられた。

『玉透刻かんざし』朝鮮時代、(上から)長さ24㎝、37.4㎝、25.2㎝、20㎝ピニョと呼ばれるかんざしは、後頭部で束ねた髪がほどけないように横向きに挿した。代表的な装身具で、身分、用途、季節によって使い分けた。玉のかんざしは、主に夏用。

展示と体験プログラム

天然の化粧材料は、長らく陶磁器に保管してきたが、近代の西洋文化の流入によって徐々に変わってきた。博物館には、韓国の近代化粧品の口火を切った「パッカブン(朴家粉)」をはじめ、韓国の近代化粧史を物語る化粧品が時代ごとに展示されている。

その他にも鏡やくしなどの化粧道具、かんざしやノリゲなどのアクセサリーまで生活文化に関する資料も常設展示されている。さらに、韓国と盛んに交流してきた日本や中国の化粧文化も紹介されており、北東アジアの文化を比べてみることができる。

コリアナ化粧博物館は、韓国の化粧文化を広く知ってもらうため、多くの国で展示会を開いている。また子供、青少年、一般人、外国人向けに多彩なプログラムも行なっている。来館者は、そのようなプログラムで伝統的な化粧品作り、香体験、DIY化粧品作りなどを体験できる。

イ・テホ李泰浩、明知大学校美術史学科招聘教授、ソウル山水研究所長
イ・ジソン李知宣、コリアナ化粧博物館学芸員

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