外国人居住者としてほぼ20年間、韓国で暮らしているイタリア生まれの建築家シモーネ・カレナさんは、急速に変化する韓国での生活からインスピレーションを受けているという。未来都市の実験室として浮上すると信じ、韓国の多様な可能性の魅力にはまっている彼は、仕事はもちろんプライベートにおける空間にも、ハイブリッドな解決策を提示することに喜びを感じている。
ボブ・マーリーからすべてが始まった。故郷トリノのポリテック大学建築学科の学生だった頃、シモーネ・カレナさんは自ら交換留学生プログラムを作った。目的地はジャマイカ、今は故人となった伝説的なレゲエミュージシャンのボブ・マーリーの故郷だ。
「小さい頃からボブ・マーリーに熱狂していました」とカレナさんは昔を振り返る。「11歳の時に叔父から『大きくなったら嫌いになるさ。ただの大衆音楽じゃないか』と言われました。しかしこう言い返したんです。いいえ、僕はジャマイカに行って彼の家族と会い、この音楽について学ぶんです」。
奨学金をもらってジャマイカの技術大学建築科で勉強する間にカレナさんは、実際にボブ・マーリーの妻や子供たちとも会った。レゲエ音楽を基盤とする電子音楽ジャンルのダブ(dub)についても知った。「ベースに酔いながら自分なりの音をつければよいのです。建築で構造を維持しながら新しい要素を加味するのと同じ手法です」とカレナさんは説明する。このようなアプローチは、建築家として彼の仕事にも適用されている。もちろん韓国で暮らす彼の生活にも。一例として、彼はソウル北村の坂の上の伝統韓屋で暮らしている。
韓国在住が20年になろうとしているイタリア人建築家のシモーネ・カレナさんは、結婚後の新居を探し求めていた時に、ソウル北村の韓屋に魅了されて購入した。その後1年をかけて直接リフォームをして現代的な感覚の家を誕生させた。そこで現在も妻と3人の子供たちと共に暮らしている。
ハイブリッドホーム
ソウルの旧市街地に位置する北村は、韓国の最後の王朝である朝鮮時代に建てられた韓屋が集まっている町だ。この平屋建ての韓屋の扉と窓は木と韓紙でできている。カレナさんが購入した当時は、すぐに引っ越すのは無理なほど荒れはてていた。「木の状態が良くなかったんです。もともと質素な家でしたから。でもだから買うことができたんです」とカレナさんは当時を思い出して笑った。それは2006年の時だった。
彼が北村の家をリフォームした当時は、保存政策のせいで制限事項が多かった。例えば、今は認められているが、当時は窓や扉をガラスにすることは不法だった。しかし、カレナさんはさほど当惑しなかった。豊かな建築遺産を受け継いできたイタリア生まれの彼にとって、復元作業は教育であり、仕事だったからだ。
結果として出来上がった『韓屋ダブ』は、古いものと新しいものが一つに調和している。貴重な昔の建築物が内部的には、完全に現代的な構造になっているのだ。もともと南向きだった家は、リフォームの過程で西向きになった。イタリアの方角を向きながら、景福宮や青瓦台も見られるようになった。家の中央にはリビングプールがあるが、ここはオープンスペースとして昼間は子供たちの遊び場に、夜は休息をとる寝室となる。台所と他の内部の空間は緑色に塗られており、1980年代の電子音楽を思い浮かべるような明るさと温かさと美しさが感じられる。地下にある作業室には天窓(天井に床ガラスを設置)がある。カレナさんの妻のファッションデザイナー、シン・チヘさんは、地下で作業をしながら上を見上げれば、三人の息子の遊んでいる姿を見ることができる。彼女には韓屋で育ち、バラの木のある庭で飛び回っていた幸福な思い出がある。
年月とともに子供たちも成長したので、テラスを家の中に取り入れた。そこに植わっていた杏の木も家の中に入り、木のてっぺんは天井を突き抜けて伸びており、6人目の家族として食卓の隣に突っ立っている。カレナさんは、自分の家が単純に韓屋をリフォームしたものではないと素直に認めた。「混合様式です。うちの家族のようにね。それで最終的な結果も混合したものになるでしょう」と彼は言う。
このすべてが家の中での暮らしを構成する“リビング実験”の一部だ。「私は韓国建築に興味があり、家の規模がまさに我が家、我が土地という想いを作り上げるためにここを選択しました。この北村という町もとても気に入ってます。でも観光客のせいで、我慢できなくなるときもありますよ」と彼は率直に話す。“リビング実験”の中間結果をたずねると、「正しい方向に進んでいます。暮らしの質に満足しており、子供たちが根を下ろすことができて幸せです。でも経済構造が敵対的ですね」。
北村では多くの古い家屋が店舗やギャラリー、カフェに改造され、近隣が商業地域に変わってしまった。そのため、大きなアパート団地にあるような一般的に利用できる塾や音楽教室、あるいはスイミングスクールのような教育インフラや家族のためのサービス施設が不足している。カレナさんは自分の選択によって子供たちが犠牲になっているのではと心配だ。
しかし彼は、依然として北村の未来を夢見ている。家を二階建てにすることは認められていないが、面白いことには地下を掘ることには規制が無い。「地下20階まで掘ってみたいです。核安全地域と新しい地下都市を築くのです」と言って笑った。
子供たちが大きくなり室内空間が足りなくなってきたので、野外の板間を室内に取り込む拡張工事をした。そのために外にあった杏の木も家の中に取り込んでに暮らすようになった。
情熱に導かれて
カレナさんは「私の人生は情熱に導かれてきたと思います」と言うが、それでは彼はいかにして韓国に来ることになったのか。彼の学歴は国際色豊かである。トリノポリテック大学で建築学修士を得たことから始まり、オックスフォード大学交換留学生プログラム、ハーバード大学デザイン学科サマースクールで勉強し、南カリフォルニア建築専門大学で二つ目の修士の学位を取得した。そして、もちろんジャマイカも忘れてはいけない。
ジャマイカの時と同じように、カレナさんを韓国に惹きつけたのは、実は音楽だった。トリノの彼のオフィスは、百年の歴史ある彼の家族の経営するレンガ工場の中にあった。ある日、あるバンドがそこにやって来てミュージックビデオを撮影した。彼はそれを契機に聴覚障害者のためのミュージックビデオを作ることになった。ビデオのプレゼンテーションのために、韓国を含めたアジアツアーをしていた時に、彼は弘益大学校国際デザイン専門大学院の学科長と出会い、彼から教授職の提案を受けた。カレナさんは2001年に韓国に来て以来、現在も弘益大学校に在職している。
彼は妻となったシン・チへさんが日本に発つ直前に出会った。彼女は将来イタリアでファッションを勉強する計画だった。大陸を横断する遠距離恋愛を続けたあと、このカップルは韓国で結婚生活を始めることにした。理由は「イタリアよりも韓国でより多くの建築関連プロジェクトをすることができるからです。ここで暮らし、韓国の成長の可能性を見るのが幸せです」
子供たちがリビングプール・スペースで楽しそうに飛び跳ねているのを見ながら、杏の木のそばで大きくなった子供たちが、それぞれの根を深く張ってほしいと願う。そして親たちは、家を高くしたり、地下に掘り進めることを夢見ている。
仕事とインスピレーション
カレナさんは、韓国が急速な発達とデジタルトランスフォーメーションにより、未来都市への世界的な実験室として急浮上するだろうと言う。
オートバイに乗り、ランボルギーニを愛するスピード狂のカレナさんは「韓国の急速な変化は常にエキサイティングです」と話す。それでカレナさんは、彼のビジネスパートナーであるマルコ・ブルーノさんと共に「モトエラスティコ(MOTOElastico)」を設立し、事務所をソウルの古い伝統市場の一つである廣蔵市場にオープンした。
なぜ韓国で暮らすことにしたのかと尋ねたところ、じっくり考えあぐねた末に彼はこう答えた。「韓国は、技術がもたらした影響を理解するための、全世界が注目している実験室のようなところだと思います。現代建築と伝統建築の再構想が、どのように国家のアイデンティティの一部を成すようになるのか見てみたいです」。そしてさらに「韓国では、デジタル都市化がはるかにうまく取り入れられ、あちこちで体験できます。人々はデジタルの利点をよく理解していますね。ところがイタリアでは、人々は誰かに覗き見られたり、商業的に利用されるのではないかと恐れています」。
モトエラスティコのプロジェクトは、画期的な出来事として描写されてきた。韓国の知識(ノウハウ)とイタリアの積極性が結合し『スーパーローカル文化』的な作品が誕生している。この会社は建築、インテリアデザイン、設置・展示デザイン、公共デザイン、公演、時にはそのすべての調和と関連した仕事をしてきた。『韓屋ダブ』以外に特に注目を集めた作品は、イタリア広報館の『ハイストリートイタリア』とソウル市庁の『市民庁』だ。前者はトレンディなカロスキル(ソウル市新沙洞の並木道)に位置した建物で、ローマ水路を連想させる外部のデザインが特徴で、イタリア製品が陳列されている。市民庁は地下のオープンスペースをそれぞれの空間目的に応じて異なる色を配置した。
「公共領域をデザインすることは、演劇の舞台装置と似ています。どのようなコメディ、あるいは悲劇がそこで公演されるのかを想像しなければなりません」とカレナさんは言う。彼は、演劇のようにすべての行為は、面白くなくてはならないと信じている。彼の多くのプロジェクトは面白く、言葉遊びを楽しんでいる。例えば、タンクバン(タンク房)は移動が可能な「房(部屋)」で、部屋の形の構成物の壁の機能を警察の楯を持って立っている人々がになっている。ピンク色の楯にはフェリス(Felice)という単語が書かれており、これは似たような音のポリス(Police)の言葉遊びだ。フェリスはイタリア語で“幸福”を意味し、カレナさんの長男の名前でもある。ちなみに彼の次男と三男の名前はフォルテ(Forte)とフェルモ(Fermo)という。
「房」はモトエラスティコのプロジェクトにたびたび登場している。「私たちは房が好きです。ノレ房(カラオケ)、PC房、家の中の多様な房など。房は今では他から借りてくることもできます。これを見る限り韓国人は非常に実用的な思考をするようです」とカレナさんは言う。彼が北村で始めたいプロジェクトは、大衆浴場とサウナを兼ねたチムチル房だ、そこで韓屋を再生するための対話が始まることを願っている。「チムチル房は地域住民と観光客のみんなが楽しめる場所です」
行ったり来たりしながら
カレナさんは、大切にしているオートバイを「内でも外でもない、二つが合わさった動く房」だと描写する。オートバイ(motocycle) 以外にも「モート」(moto)は動く(motion)を意味する。「ダイナミックな観点で都市を活発にアクセスすること」だと彼は説明する。「モート」は、一つの場所から遠くなってまた戻ってくるものでもある。彼の家族はイタリアと韓国を行き来している。2017年にイタリア政府は、カレナさんにイタリア・韓国関係に貢献した業績を認めて爵位を授与した。将来、彼の家族は他の場所での機会を享受するために韓国から離れることもあるだろう。しかし彼は「私たちは帰ってきます。韓国は帰ってきたい素敵な場所ですから」と断言する。
子供たちがリビングプール・スペースで楽しそうに飛び跳ねているのを見ながら、杏の木のそばで大きくなった子供たちが、それぞれの根を深く張ってほしいと願う。そして親たちは、家を高くしたり、地下に掘り進めることを夢見ている。
チョ・ユンジョン趙允廷翻訳家、フリーライター
ハ・ジグォン河志権、写真