テコンドー(跆拳道)は、健康な肉体に健全で強靭な精神を植えつけることを目標とする韓国の国技だ。 大韓テコンドー協会講師でありヨンセチョンフン・テコンドーの代表であるシム・ジェワン(沈載完)さんは、そんな教育的な責任感でこの32年間、子どもたちを指導してきた。
シム・ジェワン(沈載完)館長が本格的な修練に入る前に、小学生の修練生と共に瞑想訓練をしている。テコンドーは肉体を鍛錬するものだが、その力を節制する精神もともに練磨する武道だ。
今年5月30日、世界テコンドー連盟韓国代表団がバチカンの法王庁を訪れ、フランシスコ教皇の前でテコンドーのデモンストレーションを行った。この行事は「平和は勝利よりも大切だ(La pace è più preziosa del trionfo)」と書かれた横断幕を最後に掲げて終わった。テコンドーが心身鍛錬を通じて、戦わずして平和を得ることを目標とする武術であることを強調したパフォーマンスだった。
韓国の伝統武術を発展させて誕生したテコンドーは、朝鮮戦争後に広く普及し、1970年代からは事実上国技として認められてきた。しかし法律上では2018年3月30日になりようやく関連法令が改正され、正式に国技となった。これよりも遥か前の2000年シドニーオリンピックからはオリンピックの正式種目に採択され、全世界的に修練者が増え続けている。ソウルに本部を置く世界テコンドー連盟の会員国は現在209カ国に達する。
しかし国内事情は少し違うようだ。1970年代テコンドーブームで道場が急速に増えたが、修練生の確保のための「誘致緩和」と道場間の過度な競争が進み、その結果子ども専用の「遊びの体育館」とエリートスポーツという二つの方向に分かれていった。
「海外には健康のためにテコンドーを学ぶ人が多いのですが、国内では技能中心に教えます。アメリカの修練者数は韓国の10倍程度になり、一つの道場に平均500人、多いところでは2000人も登録していると言います。外国ではお父さんが会社から帰宅すると家族一緒に習いにくることが多いと言いますが、韓国の会社は残業が多いので会社員が家族と一緒に修練するのは難しいです」。シム・ジェワン館長の話だ。外国とは違い韓国ではテコンドーの修練者が年々減少している状況だが、そんな中でも彼の道場は常に活気にあふれている。
武道の基本精神
「全国的に道場に登録している修練生は平均50~70人だと言いますが、うちの道場は270~280人ほどです。近くの小学校のあるクラスでは生徒の50~70%がうちの道場に通っているというほどです」。
全国に散在するおよそ1万4000カ所のテコンドー道場の中でこんなに修練生が多い道場も珍しい。シム・ジェワンさんが道場を始めたのは1986年なので32年にもなる。
「テコンドーが子どもたちの体育活動となり、タクサウム(けんけん相撲)、ドッチボール、リクリエーションのような遊びの体育を通じて子どもたちに楽しさを与えることに重きをおく道場が増えました。テコンドーの修練が大変だと子供たちが嫌がるので遊びで関心を引いているわけです。しかしそんな道場に通う子どもたちは1年くらい過ぎると半分しか出てこなくなります。すぐに興味を失ってしまうからです。しかしうちの道場の子どもたちは普通5~6年は通います。修練をしながら一段階ずつ上っていく本当の武道の楽しさを知っているからです」。
そんな彼もかつては遊びの体育にしようかと悩んだこともあった。しかし公認6段の師範として武道の基本精神を守ろうという責任感から、ひたすら運動だけで真剣勝負をしてきた。
テコンドーには全世界に共通の体系がある。審査を経て無級から10級、9級という具合に1級ずつ上がっていき、次の段階で1段、2段、3段というように継続して昇段する。ただ「段」の称号は満15歳以上の者だけに与えられ、それ以下の年齢は段に該当する実力でも「プム」という称号を得る。道着の腰の部分に結ぶ帯はその等級を表すがこれは公式的なものではない。だいたい入門者は白帯を締め、黒帯は有段者を意味する。ときどき黄色の帯や赤い帯を結んでいる子どもの修練生を見かけるが、その色には等級の意味は無く、子どもたちの意欲をかきたてるためにそれぞれの道場が独自に作っているものだ。
上の段に上がるには実力と時間の両方が必要だ。例えばシム館長のように6段になるには、5段になり5年が過ぎないと6段の審査を受けることはできない。現在韓国では9段が最も高い段数だ。4段以上になると国技院が実施する指導者教育が受けられ、資格試験に合格するとシム館長のように「師範」の称号が与えられる。道場で一緒に働く彼の息子は5段、娘は4段だという。
女性館員がソウルの光化門広場で力強いパルチャギ(足蹴り)を披露している。「パルチャギ旅行」プログラムは女性館員の士気を高め、思い出作りのためにシム館長が企画したもので、彼は何年もの間、写真と映像を道場のブログにアップして記録を残している。 © 沈載完
企画力に優れたプログラム
シム・ジェワンさんは1962年忠清北道の山村で7人兄弟の末っ子として生まれた。6、7歳の頃に隣の村にテコンドー道場ができ、好奇心はあったもののお金がなく通うことはできなかった。 後に幼い少年の事情を知ったその道場の館長は無料レッスンをしてくれ、そのおかげでテコンドーに接することができた。面白くなった彼は中学を卒業し、ソウルに引っ越した後も修練を続けた。高校の時には家庭の経済状況を考慮して大学への進学をあきらめ、代わりにテコンドーを自分の進路とすることにした。卒業と同時に道場に師範として就職し、結婚後には建物の一角を借りて小さな道場を開いた。その道場を30年間運営し、2016年には新築したビルの地下のスペースを購入し規模を大きくした。
体系的に学びたかった彼は、延世大学校生涯教育院テコンドー学科に進学し1期卒業生となり、さらに慶熙大学校体育大学院テコンドー学科に入り勉強を続けた。そのように理論的な枠を積み上げながら企画力も高めていった。
ソウル広津区九宜洞にある彼の道場は、彼の優れた企画力を証明する現場だ。一般的にテコンドーの道場は9対1の割合いで男性の修練生が多いが、シム館長の道場は男女の割合が6対4だという。シム館長はそのような特徴を十分に生かしたプログラムを開発した。普通、片足で立ち、もう一方の足を直線状に持ち上げるパルチャギ(足蹴り)の動作は、女性の修練生のほうが男性の修練生よりも2、3倍はうまい。それで「パルチャギ旅行」というプログラムを始めた。旅行先はソウル市内のこともあるし、時にはアメリカやベトナムなど海外に行くこともある。修練生が旅行先の自然や見慣れぬ風景を背景にかっこよく足蹴りのポーズを決めると、シム館長がその姿を写真や映像に撮って記録する。彼はこのパルチャギ旅行のために映像製作技法も学んだ。「撮った映像をブログやユーチューブにアップする作業が最高の幸せだ」という。
「子どもたちに幼い頃の思い出を作ってあげたいんです。特に女性の修練生が後に母親になったあと、私が撮影した動映像を自分の子どもたちに見せてあげたら嬉しいですね」。
もう一つ、彼の企画力を示すこのがある。韓国テコンドー道具修練院(Korea Taekwondo Tool Training Center) の代表でもある彼は、意欲的に「道具修練」を行っている。
「道具修練は他の師範が開発したものですが広く普及できませんでした。私はそれをいくつもの段階に分けて教育と組合せたのです。これまでのテコンドー修練は師範が一方的にさせるものでしたが、道具を利用すれば修練生が一人でも練習することができます。例えば以前には、足が完全に開かない子どもたちの足を師範が身体を押して無理やりに開かせましたが、道具修練を続ければ子どもたちが一人でできるのです。最初は高さの低いドミノを立てて倒させ、段々と高いドミノに挑戦し、最終的に目標値を達成するのです」。
はじめて道場に来た子どもたちに敬語を教え、瞑想の訓練をするのも基本的な人間性を育てるためだ。いつも優しいおじいさんのようなシム館長だが、子どもたちが自分よりも弱い者や、幼い子どもを苛めることは絶対に許さない。
残る最後の夢は
彼は毎朝8時半に起きて、11時頃に道場に到着するとすぐに道着に着替えて師範たちと一緒に室内の整頓をする。11時30分頃、師範たちと食事をしてから教育プログラムを管理し、他の師範たちは小学生の修練生たちを迎えに近くの小学校に向かう。この道場には12人乗りのマイクロバスが2台ある。迎えのバスに乗り12時半から2時の間に道場に到着した子どもたちはみんな道着に着替えて修練を始める。
シム館長の日課はすべての修練生が帰った後、道場の整理整頓を終えたあとも夜10時から11時まで長く続く。「家に帰ってシャワーを浴び、簡単に腹ごしらえをしたあと修練生たちの写真をブログとユーチューブにアップするので、寝るのはいつもだいたい午前1時半から2時くらいですかね。もう慣れたせいかそんなに大変ではありませんよ」と彼は語る。
「少し疲れた時には家で休みながら子どもたちのパルチャギ運動の写真を見ていますが、そうすると自然にヒーリングされるんです」。
他人から見れば彼の日常はテコンドーが全てのようだが、彼は一日一日が常に新鮮だという。
「はじめて道場を開いたときに三つの夢をもっていました。自分の家を持つこと、欲しい車を買うこと、そして私が所有する空間に道場を建てるのが夢でした。この夢は全部実現しました」。
今、残る夢は唯一つだ。現在彼は50代後半であるが、70歳になるまで子供たちがテコンドーがうまくなるように助けてあげたいという。しかしそんな彼の思いに反して、現実は残念なことが多い。「最近の子どもたちは昔の子どもに比べて精神的に弱いようです。過保護のお母さんたちが多いこともあります。兄弟のいない一人っ子が多いので、譲り合いとか、他人への配慮、共同心のようなものがなく、何かと言えばすぐに喧嘩をします。さらにはお腹が一杯で捨ててしまうことがあっても他人にやろうとはしません。常に受け取ることだけしてきたので分かち合う、誰かにあげるということを知らないのです。体格は大きくなりましたが、体力は弱くなり、骨密度と筋力も減少しました」。
子どもたちのそんな姿を見ると悲しくなるが「それならなおさらテコンドーの役割が大切だ」というのが彼の考えだ。初めて道場に来た子どもたちに敬語を教え、瞑想の訓練をするのも基本的な人格形成のためだ。常に優しいおじいさんのようなシム館長だが、子どもが自分よりも弱い者、幼い子を苛めていたりしたら絶対に許しはしない。「運動で身体だけ強くなっても何の意味もありません。テコンドーで肉体的に強くなりますが、その力を節制する精神力も一緒に鍛錬するのです。身体を使えるようになれば行動はより注意せねばならず、他者より強くなればこそ他者を助けてあげることはあっても被害を与えてはいけません」。
幼い子供たちを苛めた修練生が受ける罰の中には黒帯を白帯に戻すというのもある。白帯は最初に締める初心者の帯だ。そのため「おまえの頭と心を入れ替えて最初からもう一度始めろ」という意味が込められた罰だ。
ガランとしていた道場が道着を着た子どもたちで賑やかになりだす。「シム師範」の表情も明るくなってきた。「平和は勝利よりも大切だ」という言葉の意味が分かった気がした。
キム・フンスク金興淑、詩人
安洪範写真