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2016 AUTUMN

フォーカス

庭園としての街の階段

立ち後れた町外れに公共美術で活気を吹き込もうとする都市再生事業は、これまで全国的に散らばる高台の貧民街、タルドンネ(月の町)を壁画の町に生まれ変わらせた。しかし、閑散としていた町が地区外の人々のロマンチックな遊び場になり、ドンネ住民の不満の声があちらこちらから噴出している。

戦争の廃墟から立ち上がって成長したソウル市は、わずか60年余りで人口1千万人の国際的な大都市となった。サイの「カンナムスタイル」の背景になった江南は、今でこそ高層ビルが立ち並ぶ韓国経済の中心地であるが、40数年前までは果樹園と耕作地が大半を占める町外れだった。一方、依然として開発の手が及ばずに時が止まったままの処もある。
韓国は山地の面積が国土の70%以上を占める山岳地形である。ソウルも山を中心に形成された都市である。そのため、ソウルに階段が多いのは至極当然のことだ。特に中でも、近代化と都市開発の真っ只中で、貧民層は高台の急斜面に追いやられ、安普請な家を立てて定着した。人々はそのような地域を月に一番近いという意味で「タルドンネ(月の町)」と呼び始めた。
タルドンネの階段の傾斜は、彼らの生活と同じぐらい険しい。昨今、その階段が論争の火種となった。

階段の市がなくなった背景

梨泰院・雩祀壇(ウサダン)通りで地元の若手アーティストたちが「ポラロイドカメラで思い出を残してください」というフレーズで人々を呼び込んでいる。

外国人が大勢集まって異色の地域文化を形成している梨泰院(イテウォン)の雩祀壇(ウサダン)通りに入ると、イスラム寺院のソウル中央聖院につながる階段がある。世界各国のレストランが密集しているため、風変わりな風景と料理が若者を引き寄せていた。2013年この階段に市が立ち変化が起きはじめた。階段の市は、近隣地域の若い創業者たちと雩祀壇通りで活動しているアーティストが中心になって企画、運営した。アクセサリー、小料理、ファッショングッズなどを売るのがせいぜいの市だったが、彼らの目的は無邪気な興味と充実した遊び心地、そしてわずかな収益だった。口コミが広がって毎月最後の土曜日になると、雩祀壇通りの階段は市を訪れる人々で賑わった。買い手も売り手も楽しんだ。ところが、この市が今年3月から開かれずにいる。よそ者が押し寄せてきて周辺の賃貸料が跳ね上がった上、通行の妨げになるという苦情が殺到して中止となった。くたびれた階段がこの地域のランドマークになり、階段の市を媒介に芽生えた隣人の絆が前向きな変化を導き出すだろうという希望は、結局中途半端な成功で終わった。階段は有名になったが、隣人の絆は希薄になったのである。

38 Koreana 秋号 2016 階段の絵が消された背景


鍾路区梨花洞(チョンノグイファドン)の壁画の町も似たようなケースである。600年余の歴史あるソウル城郭と文化芸術通りの大学路(テハンノ)をつなぐ梨花洞一帯は、2006年文化体育観光部が主管した「疎外地域生活環境改善のための公共美術プロジェクト」の一環として壁画事業が行われた、いわゆる11の「Art in City」モデル地区の一つである。70人のアーティストが参画し、急な坂道に沿って立ち並んだ古びた住宅の壁に絵を描き、施設物、造形物、標識版などを整備した。とくに、ソウル城郭の下にある立ち後れた集合住宅や小規模な縫製工場が密集しているタルドンネのくたびれた壁と階段が、魅力的な絵に生まれ変わったので、テレビのバラエティー番組や人気ドラマが先を競ってここを背景として使った。このため、ここを訪れる人々が増え、たちまちデートスポットや観光スポットとして浮上した。ところで、最近この町の階段に描かれた魚とヒマワリの絵を住民たちが消すという事件が発生。観光客の騒音とゴミ、プライバシー侵害などが原因だという。人々に衝撃を与えたこの事件は、法的問題にまで発展した。
よそ者のロマンvs居住者の現実
雩祀壇通と梨花洞のタルドンネは、都市の人々にとっては希少な宝石のような空間である。広々とした眺め、迷路のように広がる小路と階段、大小不ぞろいのボックスがぎっしり詰まっているような空間。訪問客はこの空間の中で碁盤の目のように整備された現代都市ではなかなか見られない風変わりな風景を目にすることができる。昔そのままの素朴なタルドンネの雰囲気と住民たちの純朴な印象は、時計の針が止まったような錯覚を引き起こす。そこにパブリックアートの華麗な色彩が加わり、人気ドラマにまで登場したことから、せちがらい都市空間の中で魅力的な場所としてクローズアップされるのは当然のことである。

梨花壁画町の住民たちの間では、「古くて汚かった町が壁画のおかげで明るくてきれいになった」という見方と「住居地に観光なんてとんでもない。我々もゆっくり休みたい」という見方に分かれ、妥協点を模索している。

問題は居住者の立場である。この公共事業の趣旨通りならば、文化生活とは程遠い低所得層は、自分たちが住む町の中で日常的に芸術に接することによって、生活の質が向上し、文化的な誇りを感じなければならない。しかし、タルドンネの住民たちはちょっとした満足感に浸かるのもつかの間、遊び場でありふれあいの空間、憩いの場だった階段と小路に混雑が生じ生活環境そのものが一変してしまったという不満を募らせた。よそ者が望むロマンチックなスポットとそこに住む当事者たちの現実的な日常生活の間で相反する利害関係がぶつかり始めた。住民たちが階段の絵を消すと、行政当局は公的資金で作られた絵を毀損したことを理由に法的責任を追及した。この問題に対する解決の糸口をどこに見い出せばいいのか。行政当局が住民たちに損害賠償を請求したり、せっかく作った都市再生事業を打ち切ったりすることが唯一の解決策なのだろうか。

梨花壁画町は、ソウル城郭通りのうち左側の駱山(ナクサン)の稜線に沿って曲りくねった駱山区間下の丘に形成された町である。

都市再生事業のあり方
問題のポイントはその空間を楽しみたいと思う人たちと地元住民がともに満足できるようなプログラムを探すことだ。階段のような街の公共インフラについての議論で、使用権利のみを中心に問題にアプローチすることは利害関係者にあまり役立たない。タルドンネの住民も、訪問客も、いずれも市民であり同等な公共財への使用権利を持っているからだ。
韓国の街の壁画は、1980年代の民主化運動から生まれた。当時不合理な韓国の政治状況により、民衆運動が広がり、一部のアーティストたちが自分たちの政治的な立場を壁画で表現した。このような壁画も芸術主体と住民の利害関係がぶつかる中で生まれており、都市の美観が目的ではなかったので寿命はそれほど長くなかった。純粋美術壁画運動の出発点となったのは、92年に弘益大学校美術学部の学生たちが学校の近くの小路を利用して始まったストリート美術展である。学生たちが地元住民の同意と協力を得て、さえない街の壁をクリエーティブな壁画に変える同ストリート美術展は、政府レベルの文化環境整備事業作りの呼び水となり、今年で24回目を迎える。

梨花壁画町は、ソウル城郭通りのうち左側の駱山(ナクサン)の稜線に沿って曲りくねった駱山区間下の丘に形成された町である。

重要なのは事業への自主性と住民参加であろう。たとえ政府が舵取りをしたとしても、それに支えられて初めて真の意味の持続可能な都市空間再生事業が可能であり、その結果物が現代都市の人間性回復にも寄与することができるだろう。幸い、最近の都市再生事業は都市を有機体として見なしてアプローチしており、市民中心の共有概念を取り入れている。2015年ソウル市が打ち出した「ソウル都市再生総合プラン」も、計画から施行まで住民が中心となり地域密着型整備を行うなど、その空間ならではのアイデンティティを維持する方向に向かっている。“地域密着型整備、住民の参画、物理的な成果よりは持続可能な開発エンジンの確保”などの内容が柱である。

住民たちが階段の絵を消すと、行政当局は公的資金で作られた絵の破壊を理由に法的責任を追及した。この問題に対する解決の糸口をどこに見い出せばいいのか。行政当局は住民に損害賠償を請求したり、せっかく立ち上げた都市再生プログラムを打ち切ったりすることが唯一の解決策なのだろうか。

雩祀壇通と梨花洞の階段をこのような視点で見直してみよう。階段は人々が上り下りするところである。また、階段は人々が座ってくつろぎ、街を眺めるスタンドの役割もする。このような階段の基本的な機能の上にプログラムをかぶせれば良い。そして、領域を区分すれば良い。隣人との利害がぶつかるのは、領域が区分されていないからである。領域の見分け方は持続可能なものにしなければならない。さらに、住民の参画が前提になるべきだ。作為的で不自然な都市活用のアイデアは長続きしない。
階段に庭園を造るのはどうだろうか。スカイラインガーデン、コンテナガーデン、ループガーデンなど、世界の複数の都市で試みられているさまざまな庭園造りをみると、都市空間と人間が自然を媒介にどのように持続的に美しく結び付けられたかがわかる。住民自ら造る階段庭園は想像するだけも楽しい。

クァク・ヒス郭熙秀、IDM都市建築代表
金東賢写真

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