메인메뉴 바로가기본문으로 바로가기

null > 상세화면

2024 AUTUMN

トレンドを生む力

弘大(ホンデ)前は、一言で説明できないほど多様性のあるエリアだ。しかし、そうした多彩な特徴に共通するものがある。最先端の文化をリードしているという点だ。弘大前で自然に生まれた文化が、新しいトレンドになって他の地域に広がっていく。そのため、弘大前は一般的な学生街とは明らかに異なる。

弘益文化公園の向かい側にある壁画通り。弘益大学校の地下キャンパス建設のため、大学側の絵は最近なくなってしまったが、住宅側の絵は残っている。この絵はストリート美術展の一環で描かれたものだ。

弘大前は典型的な住宅地だったが、1955年に弘益(ホンイク)大学校が現在の位置に移転して大きく変化した。1961年に美術大学(美術学部に相当)、1972年に産業美術大学院が新設されると、美術学生が学校の周りにアトリエを構え始めた。それらのアトリエに芸術家が集まり、プライベートな空間にとどまらず様々な形態の複合文化空間として機能した。

例えば、文化芸術作品や社会問題について自発的な議論が行われ、時には既存の文化を批判するパフォーマンスも繰り広げられた。そうした場所がギャラリーやカフェになり、夜にはクラブになる。つまり、アトリエは想像力とアイデアを存分に試すことができる空間だったのだ。

このような弘大前のアトリエ文化は、芸術家、企画者、知識人を呼び込み、オルタナティブ(既存のものに代わる)カルチャーの基盤を築いていった。こうした雰囲気が、1990年代半ばから後半の弘大前の典型的な姿だ。弘大前を構成する空間と人、そうした人たちの交流とコミュニケーションが、急速に変化する社会環境と相まって文化的なトレンドをリードした。

2007年に開館したKT&Gサンサンマダン(想像広場)弘大。映画館、公演会場、ギャラリーなどを備えた複合文化施設で、弘大前の中心街に位置している。芸術家には創作活動の支援を、一般の人たちには文化活動の機会を提供している。

2021年に開館した延禧洞で最初のアート映画館、ライカシネマ。アンドレイ・タルコフスキーやエリック・ロメールなど巨匠の代表作をはじめ、大規模な映画館では見られない芸術性の高い作品を上映している。

芸術の街へ

1990年代の弘大前は、相反する二つの表情を持っていた。オルタナティブ・カルチャーの中心ではあったが、一方ではピカソ通りなどで消費文化が広がっていた。ピカソ通りは、弘益大学校の正門の左側から極東(ククトン)放送の裏手まで続く約400mの路地だ。この路地が、高級なカフェやファッションブランドのショップが立ち並ぶ狎鴎亭洞(アプクジョンドン)のロデオ通りになぞらえて、ピカソ通りと呼ばれるようになったのだ。ここがカフェや飲み屋で埋め尽くされ、弘大前の文化芸術的なアイデンティティーが揺らぎ始めた。それに対して批判や懸念の声が高まり、弘大前ならではの文化を守ろうという動きに火が付いた。その代表例として、弘益大学校の美術学生が主体になったストリート美術展を挙げられる。

1993年から始まったストリート美術展は、大学を離れて弘大エリアのあちこちで地元の人たちと一緒に行うアートイベントだ。ストリート美術展の一環として、壁画通りも整備された。街に芸術的な色彩が施され、弘大エリアは住み続けたい場所に生まれ変わった。そして、地元の人たちも積極的に絵を描くことで、地域共同体の回復にも重要な役割を果たした。これをモデルとして、全国各地で地域のアイデンティティーを一新するために壁画通りをつくるようになった。

オルタナティブ・スペース

韓国のオルタナティブ・スペースは、多様化・複雑化する環境の中、1990年代後半に誕生した。まず、アジア通貨危機の影響が強かった。美術市場は不況に見舞われ、若手の芸術家が作品を発表する機会も減った。さらに、文化芸術の多様化という環境の変化も大きく影響した。それ以前には見られなかった実験的で創造的な作品が活発に生み出されたが、既存の施設だけでは作品を受け入れることができなかった。

このような時代のニーズによって、オルタナティブ・スペースは自然発生的に始まった。韓国初のオルタナティブ・スペース「ループ」は1999年、弘大前にオープンしている。若手芸術家の斬新で実験的な作品を発掘・支援し、海外の芸術家との交流や連携を模索することが設立の目的だった。これを皮切りにオルタナティブ・スペースが増えていった。

ループの誕生は重要な意味を持っている。1990年代の弘大前に通底するオルタナティブ・カルチャーの深みと裾野を広げたからだ。ループは芸術作品について、少数の所有物ではなく全ての人が共有する公共・共同体的な性格を持つものと考えた。こうした観点に基づいて、芸術家が提案する社会・文化・芸術的な問題を観客と共有することに力を注いだ。つまり、芸術の境界と壁を取り除いたわけだ。

2023年にオルタナティブスペース・ループの公募展で選ばれたチョン・チャンミン(鄭讃珉)の個展「行動体積(Mass Action)」。1999年に韓国初のオルタナティブスペースとして開館したループは毎年、同時代の問題意識を独創的な視点で表現した実験的なアーティストの企画展を開いている。
© オルタナティブスペース・ループ

2018年に開館した複合文化施設、ヨンナムジャン(延南㙊)。延禧洞で活動する様々な分野のクリエーターのアトリエであり発表の場でもある。コンテンツによって1階のカフェをミュージカルの舞台や展示場など多目的に活用できる。

韓国初のアートマーケット

韓国と日本で共同開催された2002年のFIFAワールドカップは、多彩な文化イベントやフェスティバルを活性化した。弘大前でも地域資源の活用について話し合われたが、ちょうどその頃ソウル市と麻浦区(マポグ)が弘大前の一部を「歩きたい通り」に指定した。その中心にあるのが弘益大学校の向かい側にある公園で、「弘大公園」と呼ばれている。弘大前で活動する芸術家や企画者が主体になって、文化芸術家とともに弘大公園のより良い利用方法を模索した結果、2002年5月に韓国初の芸術作品のフリーマーケット「希望市場」が開かれることになった。あまり利用されていなかった公園がアートマーケットの拠点になり、にぎわいをもたらした。

希望市場は、それまで弘大前の様々な場所で散発的に行われていたフリーマーケットを定期的な文化芸術イベントとして定着させた点で意味がある。韓国には当時このようなアートマーケットがほとんどなかったので自然と口コミが広がり、マーケットが開かれる毎週日曜日の午後になると大いににぎわった。希望市場は、日常的な場所が創作と流通の拠点として機能することを示したのだ。

希望市場は、その後アートマーケットが全国に拡散する上で多大な影響を及ぼした。現在は弘大前の公園ではなく屋内スタジオで行われているが、芸術の生産と消費をつなぐ役割は今も続いている。

サロン文化

弘大エリアは2000年代に入るとカフェ文化が本格的に根付いたが、他の地域とは異なる様相を見せた。コーヒーなどを飲みながら単にゆっくり過ごすだけでなく、同じ分野で働く者同士が言葉を交わしたり、文化芸術的なインスピレーションを得たりする場所になった。今人気のサロン文化は、この時期の弘大前にすでに存在していたわけだ。

そのため、ほとんどのカフェには大きなテーブルがあり、いつでもライブ公演ができるように楽器や機材が備えられていた。また、文化芸術分野の情報を知らせる様々なリーフレットが常にあり、小規模のフリーマーケットが開かれることもあった。こうした弘大前のサロン文化を代表する場所として、2004年にオープンしたカフェ「イリ(Yri)」がある。「音楽、美術、文芸、映画など、私たちは全てを尊重します」をモットーにする自由な雰囲気で、展示、朗読会、公演、セミナーなどのプログラムによってサロン文化を発信している。SNSの発達とともに趣味嗜好が多様化・細分化している現在、サロン文化を志向する空間の力を弘大前のカフェでも確認できる。

イリ・カフェ。弘大エリアの芸術家の交流拠点として始まり、朗読会、展示会、演奏会など多彩な文化芸術イベントが行われる複合文化施設に発展した。2004年に西橋洞でオープンし、2009年に現在の上水洞に移転して同所を代表する文化施設になっている。

パク・ミナ朴泯河、韓神大学校デジタル映像文化コンテンツ学科講師
ハン・ジョンヒョン韓鼎鉉、写真家

전체메뉴

전체메뉴 닫기