キム・ウジョン(金佑定)代表は、2015年に「家庭式ファブリック」というファッションブランドを立ち上げ、素朴で着心地の良い服を作ってきた。ソウルを転々としていたが、5年前に西村(ソチョン)に落ち着いた。多くの人がその服を「西村らしい」と口にする。
ファッションデザイナーのキム・ウジョン代表。慶尚南道・馬山生まれで20歳からソウルに住み始め、これまで20回近く引っ越しをしてきた。5年前に西村にアトリエを設けて、同地で暮らしている。仁王山が見える家に去年引っ越して、西村での生活を満喫している。
ご飯も「つくり」、服も「つくり」、家も「つくる」。人が生きていくために欠かせない三つの要素「衣食住」について韓国語でも同じ動詞を使う。健康と心地良さを重視する点が共通しているからだろう。このご飯を食べて元気になれるように、この服を着てリラックスできるように、この家で暮らして幸せになれるようにと願う心。家庭式ファブリックのキム代表の服作りにも、同じ気持ちが込められている。韓国の食堂に掲げられた「家庭式定食」という言葉が、おふくろの味を思い浮かばせるように、「家庭式ファブリック」という言葉は、家族のために作られた服という印象を与える。
「家庭の料理は体に優しいですよね。化学調味料をあまり使わず、新鮮な材料で作る家庭料理のように、天然の素材で長く着ても飽きない端正な服を作っています。服について長い間勉強しましたし、アパレル企業にも勤めました。合成繊維など数多くの素材を使ってみたところ、自然由来の素材が一番良いという結論に至りました」
良質な素材
キム代表は幼い頃から服に興味を持ち、大学でファッションを専攻した後、キッズ・レディース服を取り扱う会社でデザイナーとして10年間働いた。一生懸命だった分、疲れ果ててしまった。そこで、3カ月のリトリート(リフレッシュ)旅に出かけたが、戻ってくると退職を決めた。忘れていた本当の自分を思い出したからだ。キム代表は会社で仕事に追われると、時おり手ずから服を作っていたが、会社を辞めた後は好きなことに集中できた。こうして2015年に家庭式ファブリックが誕生したのだ。
「全てがあまりにも簡単に大量に生産される現代社会で、もう少し時間をかけて丁寧に服を作りたいと思いました。アパレル企業では定価での販売率や在庫の管理を意識しますし、そのコストが服の値段に含まれます。より安い材料でより多く製造して、大きな収益を上げることが目標です。私はゆっくり寄り添って長くとどまり、少人数であっても深く心を交わしたいと考えました。どれほど心を込めて誰が作ったのか想像しながら服を選ぶと、その心持ちが服を着る人にも影響すると信じています」。
キム代表は、お金のためでなく好きな服を作り続けるために、まるで工芸品を創作するように家庭式ファブリックの服を仕立ててきた。なので、素材にかけるコストを惜しまない。料理は材料が重要だが、服も素材が決め手になる。キム代表はリネンとコットンが特に好きだと言う。1年の半分以上リネンのワンピースを着ており、春と夏の生地としてリネンを薦めるほどだ。「着るほどに体になじんで、くたっとした味が出る」素材だからだ。大きな利益はなくても、出張費をかけて世界中で良質な素材を探し求めている。
最近ソウル貞洞の新亜(シナ)記念館にオープンした家庭式ファブリックのショールーム。キム代表は服が体温だけでなく心の温度も高めると考え、心を込めて作った服が着る人の日常に余裕をもたらし、長く着続けられることを望んでいる。
「羊毛からできるウールは、歴史の深いイギリスで主に買ってきます。リネンはリトアニアやベルギーが有名です。良質で手頃な値段のカシミアを求めて、モンゴルの農場を探し回ったり現地で紹介してもらったりして、ニットウェアも手がけています。糸や生地の製造技術も重要なので、生地の加工技術を長らく発展させてきたイタリアに行くこともあります。今も古い紡績機を使っている日本には、手で編んだような目の粗い生地があります。インドでは今でも手織機を使っています。その手織りの生地・カディで今年の春、服を何着か仕立てたのですが、とても柔らかいです。インドには痩せた土地で水が少なくても丈夫に育つオーガニックコットンがあって、ざっくりとしたテクスチャーが魅力的な服に仕上がります。環境問題や持続可能性の面でも良いことですよね」。
会社員として出張していた頃は、トレンドや効率性ばかり追っていた。早く作って早く売る。すぐに忘れられても構わなかった。しかし今は一人で受け持っているので時間がかかり、苦労して手に入れた貴重な材料なので少量しかできない。「良質な素材と基本に忠実なデザインを組み合わせれば、長く着られる服になる」と考えており「少し足りないくらい作って売り切る」という経営哲学にも満足している。
ショールームの棚の工芸作品。キム代表はガラス、陶磁器、金属、皮革など様々な分野のクリエイターとコラボレーションして、ショールームで定期的に展覧会を開いている。ほとんどは西村で活動するクリエイターだ。
西村での暮らし
ほとんどの購入者は、付き合いの長い常連だ。静かで控えめな人が多い。母親の服を娘が譲り受けて、二人とも常連になるのも珍しくない。キム代表は「流行に乗らず、幅広い世代に愛されるのは、とてもうれしい」と言う。以前から続けてきたブログやホームページで服を見てネットで注文する人が多いが、実店舗で服に触れてみたいという人も増えたので最近、ソウル市内の貞洞(チョンドン)にショールームをオープンした。
少しずつ名前が知られてきた家庭式ファブリックは「西村らしい」とよく言われる。西村っぽい服とは、どんなものだろうか。
「自然な服ですね。街を歩け、美術館にも行ける服。華やかではありませんが、みすぼらしくもない服。体をじかに包むものなので、情緒的にぬくもりが感じられればと思っています。着心地が良くて端正でありながら温かみのある服を西村らしいと言うようです」。
誰よりも西村のことを知っているが、西村で生まれ育ったわけではない。慶尚南道(キョンサンナムド)馬山(マサン)生まれで、大学生の時からソウルで暮らし始めた。龍山(ヨンサン)区から鐘路(チョンノ)区まで、ソウルの10余りの区に住んだことがある。西村には5年ほど前に引っ越してきた。上京してきてソウルのあちこちで暮らした結果、「住んでみると西村が一番」だと感じて定着した。今の家はソウルで18番目、結婚後では3番目になる。大通り沿いの住宅の3階と4階を使うメゾネットタイプで、下の階には店も入っている。玄関を開けると大きな窓越しに見える仁王山(イヌァンサン)と、いくつもの窓から注ぎ込む陽光に心を引かれて選んだ。
「ここ西村は、過去と現在が入り混じっています。西村から少し離れると都心らしく高層ビルが立ち並んでいますが、この街に入ると子どもの頃に遊んでいた故郷のような情感あふれる路地が残っています。路地では韓屋(韓国の伝統家屋)とモダンな住宅が隣り合っています。日当たりの良い道端で唐辛子を干すおばあさんと、流行に敏感な若者がいる街。それが西村です。明洞(ミョンドン)や江南(カンナム)のような商業エリアとは違って、生活感のある雰囲気が西村の魅力です」
仁王山を臨む屋上では、ガーデニング好きな夫が様々な植物を手ずから育てている。キム代表が西村の夕焼けを楽しむ場所でもある。
自然と共に暮らす日常
時のなごりと人のぬくもり、古めかしさと緩やかさという価値が残る場所。経過も劣化もマイナスにならない街が西村だ。豊かな自然に寄り添って生活することで回復力が得られる点も、大きな魅力だ。
「高い建物がないので、遠くの仁王山まで見えます。西村は四大門(朝鮮王朝の首都・漢陽の四つの門)の中にある都心ですが、近くに水声洞(スソンドン)渓谷やソウルを見渡せる展望台もあります。さっきまであくせく働いていた都会の暮らしを、一瞬にして離れた所から眺められるわけです。疲れた心が癒され、リフレッシュできます。そんな西村が好きなんです」。
街の話で盛り上がった頃、リビングの大きな窓の外にあるイチョウの木にカササギが飛び込んできた。
「今年の春、あのイチョウの木に巣を作ったカササギです。カササギのつがいが小枝をせっせと運んでくるのですが、どこから持ってくるのか…。巣作りの途中で落としてしまったものもあって、木の下に小枝が積み上がっていました」。
キム・ウジョン夫妻が家の手入れや模様替えをするのも、カササギの巣作りと似ている。夫のチョン・ヨンミン(鄭詠珉)さんは、広告・マーケティングの専門家として順調だった会社を辞めて、家の隅々まで手入れをしながら新たな人生の準備をしている。壁にペンキを塗り、ドアやビルトインクローゼットも塗り替えた。照明や取っ手の交換には、キム代表がヨーロッパ出張の際に買ってきた物を使った。カーペットを敷いて、二人そろってビンテージショップで選んだ家具を置いている。小さな屋上庭園には、霜が降りるまで花を咲かせるアネモネ、葉に触れると爽やかな香りが広がるアップルミント、背の高いチカラシバ、アサギリソウ、野生のカスミソウなどが育っている。引っ越して1年近く、ゆっくりとだが一つ一つ手をかける家づくりは、キム代表の服作りに似ている。
家の屋根裏部屋。夫のチョン・ヨンミンさんが壁にペンキを塗って家具も作った。あちこちに夫妻が長く収集してきたビンテージの小物が飾られている。二人は屋根裏部屋を近所とのコミュニティー空間として利用している。
キム代表は、アーティストのオ・スによる『仁王山の石』という小さな作品をリビングの窓の前に飾っている。バターイエローの内装が温かい雰囲気を醸し出すリビングの壁には画家コ・ジヨンの絵が、その下の棚には編み物作家カン・ボソンの人形が見える。皆、共通の趣味で知り合った西村のアーティストだ。
「昔から憧れていたガラス工芸家がいるのですが、西村に住んでいることが分かりました。一人で好きなことをこつこつと続けている人が、西村にはたくさんいます。好みも似ていて、好きなアーティストの作品は私の服とよく合うので、ショールームで展示もします。ウクレレの演奏とDIYが好きな夫は、4階の屋根裏部屋を模様替えして、ブックトークや小さな文化サークルも開いています。まるで一緒にご飯を食べるように、近所の知り合いと文化や経験を分かち合っているのです」。
好きなことをして、好きな人と交流しては助け合い、時には自然に癒される日常。西村だからこそ可能なのだろう。