朝鮮半島で冬を楽しむなら、江原道がうってつけだ。スキーなどウインタースポーツだけでなく、雪景のトレッキングも楽しめる。さらに世界的に知られつつある冬のイベント・華川ヤマメ祭りなど、多彩なイベントが開かれて愉快な体験ができる。
太白山(テペクサン)の頂上には三つの天祭壇があり、その一つが将軍壇。毎年元旦には多くの人が初日の出に祈願する。太白山は、登山口からこの将軍峰まで4時間ほどかかる大変なコースだが、霧氷が美しい冬山の登山コースとして人気だ。
他の季節も十分魅力的だが、江原道 (カンウォンド) へ旅行をするなら、何といっても寒い冬が一番だ。冬の江原道の真髄を味わう最も魅力的な方法は、自然の美しさを全身で感じられる山歩きやトレッキングだろう。その妙味を忘れられず、去年の大雪の日を見計らって、喜び勇んで太白山(テベクサン)に向かった。
春になると鮮やかなピンクのツツジが咲き乱れ、夏と秋には名も知らぬ野花がひときわ美しい太白山だが、最もまぶしい瞬間は、やはり純白の霧氷が咲く冬だろう。身をさす寒さの中、登山道の脇に咲いている霧氷が風になびき、まるでアユの群れのように見える。そんな絶景は、冬の山歩きでしか見られない。しかし、足首まで埋もれる雪をかき分けながら、太白山の頂上まで約4km。夏なら2時間で十分登れる距離だが、雪の積もった冬なら4時間はかかる。「カルタク峠」と呼ばれる区間は、息が上がる頃に、ようやく越えられる。もちろん、苦しいばかりではない。天祭壇さえ越えれば、その後は緩やかな道が続いている。
真冬でも絶えず流れる汗が、冷たい風に乾いていく。ちょうどその頃、森の隙間から白頭大幹 (ペットゥデガン) の稜線が見え始める。霧氷で始まった冬の山歩きは、頂上に近づくにつれて、イチイの群生地に変わる。身を切るような冬の風に耐えて毅然と立っているイチイは、葉の落ちた幹の中に、程なく芽吹く青い命を宿している。そのため、昔の人はこのイチイの群生地を「生きて千年、死んで千年を生きた」と表現したのかもしれない。
太白山の雪景に負けず劣らず、雪の日の平昌・月精寺も素晴らしい。一面、雪の原。足跡一つないモミの木の道を歩いていくと、辺りが静まり返る。静寂という言葉だけでは物足りないほどの静けさ。まるで雪が全ての音を吸い込んだかのようだ。早朝、足を速める僧侶の袈裟の下に、再び雪が降り出す月精寺の風景を見たなら、江原道の冬を半分ほど味わったといえよう。
日々のストレスを吹き飛ばす冬のイベント
冬の山歩きに自信がなければ、多彩な冬のイベント期間に江原道を訪れるのも良い方法だ。毎年1月に開かれる太白山雪祭りのハイライトは、壮大かつ繊細で、時代を反映した見事な雪像だ。そこでは、韓国最高レベルの雪像アーティストが匠の精神で作り上げた作品に出会える。2018年1月には平昌冬季オリンピックを記念する様々な雪像が展示される予定だ。
雪祭りだからと言って、雪だけを楽しめるわけではない。スリル満点のビニールソリゲレンデ、子供に大人気の氷の滑り台もあり、家族や恋人が和気あいあいと話せるイグルーカフェもある。家族連れなら、太白山の民宿街にある松林で行われる犬ぞりとスノーモービルの体験もお薦めだ。シベリアンハスキーが引くソリに乗って雪原を疾走すれば、日常のストレスから解き放たれた気分を味わえる。雪と氷をテーマにした多彩な体験が、訪れる人を夢中にさせるだろう。
普段から趣味で釣りをしているなら、江原道・華川で冬の釣りを楽しむのも良いだろう。華川は古くから厚い氷が張るため、氷上レジャーが発達している。特にヤマメ祭りは、華川(ファチョン)を冬の観光スポットへと生まれ変わらせた。このイベントは毎年1~2月に華川川一帯で開かれ、今や韓国を代表する冬のイベントにとどまらず、日本の「札幌雪祭り」、中国の「ハルビン氷祭り」、カナダの「ケベック・ウィンター・カーニバル」と共に世界4大雪祭りともいわれている。11年連続で訪問客数が100万人を超えており、韓国の教科書にも載るほど有名になった。2011年にはアメリカのCNNが、華川ヤマメ祭りを「7 wonders of winter(冬の七不思議)」として紹介した。
祭りの期間中、ヤマメの氷上穴釣り、ヤマメのつかみ取り、ソリなどを楽しめ、捕ったヤマメはイベント会場の近くの店で調理して食べることもできる。ヤマメは古くから高級魚とされ、栄養が豊富なため中国では神仙が好んだと伝わっている。日本では、皇室献上品とされた。祭りの間「神仙の住む世界に案内する灯」をともす仙灯文化祭も開かれる。静かな夜、星の光が降りそそぐ華川川一帯と市場に、きらびやかな仙灯がかけられて夜空を照らす。
華川ヤマメ祭りより規模は小さいものの、平昌マス祭りも人気だ。平昌(ピョンチャン)の五台川で毎年1月末から2月末までに開かれ、開催期間がかなり長い。マスの氷上穴釣り、マスのつかみ取り、マスの家族釣りといった人気プログラム以外にも、氷ソリ、スノーラフティング、ボブスレー、氷の列車など多彩な楽しみが待っている。
マスはちょっとした要領さえつかめば、誰でも2~3匹は簡単に捕れる。冬から春にかけて最もおいしく、焼き魚は香ばしくて淡泊で、刺身は柔らかい中に歯ごたえがある。平昌は養殖マスの里だ。1965年に平昌で初めてマスの養殖が始まったが、朝鮮後期の実学者ソ・ユグ(徐有榘)は、魚類学の書『蘭湖漁牧志』でマスについて「赤身が鮮明で松の節に似ているため松魚(ソンオ)と呼ばれ、東海岸の魚類の中で最も味が良い」と述べている。そのため、昔は冷たい川風に瀬が凍り始めると、大きなハンマーで川の岩を持ち上げて驚いたマスを捕り、食事をしたという。つまり平昌マス祭りは、昔の貧しい生活をイベントへと昇華させたものだ。
東海岸に沿って走る観光列車「海列車」。乗客が海を見やすいように、座席が階段のように
汽車旅のロマンが与えるもう一つの楽しさ
冬の江原道の真髄を味わうもう一つの方法は、列車に乗ることだ。列車に乗った瞬間、肌をさすような寒さも、ロマンチックになるからだ。快適な座席に身を委ねて、窓越しに雪景色を眺めていると、体は温まり乾いた心は潤う。列車が素朴な無人駅に止まるたびに、童心に返らずにはいられない。
いつか冬の汽車旅に出た日のことだ。多くの人が上気した顔で、三々五々プラットホームに集まっていた。凍った道での運転や満員電車での出勤などは忘れて、12月から2月まで運行される「環状線・霧氷列車」に乗り込んだ。ソウル駅を出発して、杻田駅、承富駅、丹陽駅を経て霧氷の咲く峡谷を見て回る日帰りツアーだ。
ソウルから少し離れるだけで、都心とは違う雪景色が目の前に広がる。屋根に、田んぼの畦に、小川のほとりにどっさりと積もった雪が心に染みる。その風景の中をゆっくりと進む列車。列車が動けば、雪も飛び散る。久しぶりに友人と向かい合って海苔巻きやおやつを一緒に食べていると、昔の汽車旅の思い出がよみがえってくる。どれほど時間が経ったのだろう。窓の外はいつの間にか雪深い山里を通って、誰もが嘆声をもらす霧氷の世界だった。
最初の停車駅は、江原道・太白の杻田駅。標高855mで、韓国の駅で最も高い場所にある。8分かけて4.5㎞の浄厳トンネルを通り過ぎると、杻田駅が現れる。駅の名前は、大きなハギの木が育つ所に建てられたという意味で、年間の平均気温が低く、冬がとても長い地域にある。列車は約20分間、杻田駅に停車する。その合間にプラットホームに降りると、冷たい空気が頬をなでた。
屋根に、田んぼの畦に、小川のほとりにどっさりと積もった雪が心に染みる。その風景の中をゆっくりと進む列車。列車が動けば、雪も飛び散る。
1975年に韓国で初めて造られ平昌の龍坪(ヨンピョン)スキー場。冬のレジャースポーツのメッカだ。冬の初めにスキー場がオープンすると、数多くのスキーヤーとスノーボーダーが全国から集まってくる。
コーヒーと共に味わう江原道の冬
冬の風景にぴったりの飲み物は、やはり温かいコーヒーではないだろうか。数年前から江陵がコーヒーの聖地になったと聞いていたが、にわかには信じられなかった。だが江陵に行って、コーヒーに関するものなら何でもあることを知ってから、ようやく理解できた。コーヒー博物館だけでなく、コーヒー農場、コーヒー工場まであるのだから。2009年からコーヒー祭りも開かれ、これなら「コーヒーのメッカ」と呼ばれてもおかしくないだろう。江陵にあるコーヒー専門店は、現在およそ200 店。そうした店が生み出す付加価値も、年間2000憶ウォンを超えるという。
江陵へのコーヒーツアーは、名前が江陵港に変わって間もない安木港から始まる。「コーヒー海岸」と呼ばれる安木海岸は、その名の通り刺身店よりコーヒー店の方が多い。そこでは、コーヒーの自動販売機も海辺に立ち並んでいる。自動販売機のインスタントコーヒーの味は、どれも一緒だと思うかもしれないが、自動販売機ごとに材料や配合が違い味も少しずつ差があるという。以前は100台ほど自動販売機が並んでいたが、今は十数台だけがかろうじて残っている。その代わり、自家焙煎のドリップコーヒー店が大幅に増えている。
江陵で自家焙煎のコーヒー店として有名なのは、何といってもボへミアン・パクイチュコーヒー工場だろう。オーナーのパク・イチュ(朴利秋)氏は、江陵が現在のようにコーヒーのメッカになる上で大きな役割を果たしたコーヒーの名匠だ。在日韓国人のパク氏は、韓国のバリスタの系譜において4人の名匠に挙げられる。その中で二人は亡くなり、一人はアメリカに移住したため、唯一の現役だ。江陵でカフェを開き、教え子を育てながら、江陵のコーヒーブームを巻き起こしたといっても過言ではない。
江陵のドリップコーヒーのもう一つの名所は、テラロサ・コーヒー工場。日韓ワールドカップが開催された2002年にオープンした。コーヒーの世界的な産地であるエチオピアやグアテマラまで行ってコーヒー豆を買い付けてくるなど、コーヒーへの深い愛情が感じられる。
また、江陵市内の溟州洞にあるボンボン・バンアッカン(粉屋)もお薦めだ。ここは元々、粉屋だったが、今ではコーヒーの香りであふれている。コーヒー体験をしながらコーヒーの専門書も読める空間が目を引く。それらのコーヒー専門店が江陵のコーヒーの質を高めた主役だとすれば、コーヒー文化を広げたのは韓国で初めて商業用コーヒーを生産したコーヒーカッパー・コーヒー博物館だ。
江原道で山登り、汽車の旅、冬の釣りなど多彩なイベント、そしてコーヒーまで楽しむことができれば、その年の冬は「温かかった」と言ってもいいだろう。
コーヒーの街へと生まれ変わる江陵
江原道の東海岸の中ほどにある江陵(カンヌン)は、歴史的な人物が多く生まれた街で、古い文化遺跡も多い。その古色豊かな江陵が最近、コーヒーのメッカと呼ばれ、予想だにしなかった新たなアイデンティティを加えつつある。
江陵(カンヌン)の旺山面(ワンサンミョン)にあるコーヒー博物館のチェ・グムジョン館長。コーヒーカッパーの代表でもあり、コーヒー文化を広めることに使命感とやりがいを感じるという。
発端は、コーヒーの自動販売機だ。1980年代、江陵の中心部から外れた安木 (アンモッ) 海岸にインスタントコーヒーの自動販売機が何台か置かれ、とてもおいしいと噂になった。この自動販売機のコーヒーを飲むために、わざわざ安木海岸を訪れる人もいたほどで、自動販売機も数十台に増えた。2001年になると、今度は3階建てでガラス張りのコーヒー専門店ができた。スレート屋根の家が立ち並ぶ漁村に、大都市でしか見られないような洗練されたコーヒー店ができると、多くの人は首をかしげた。コーヒーといえば、インスタントコーヒーに砂糖とクリーミングパウダーを入れた甘いものだったため、コーヒー本来の香りがあふれるコーヒー専門店の味は、馴染みのないものだった。値段も、自動販売機よりはるかに高かった。
昔ながらの薄暗い茶房(喫茶店)でコーヒーを飲んでいた人は、全面ガラス張りで外からよく見える場所で、誰がコーヒーを飲むのかと考え、すぐに潰れると予想していた。しかし、その予想は外れた。1年もせずに、行列ができる人気店になったのだ。すると、その周りにもコーヒー専門店が建てられ、今では安木海岸だけでなく、その一帯にコーヒー店が立ち並んでいる。全国からこのカフェ通りにやってくる人が急激に増え、江陵の人たちは家でもドリップコーヒーを入れるようになったという。
安木海岸に最初にできたコーヒー専門店は「コーヒーカッパー」。現在、江陵に6店舗を構えている。コーヒーカッパーのチェ・グムジョン(崔芩禎)代表は、江陵がコーヒーの街になった理由について「コーヒーの名匠、パク・イチュさんが早くから江陵に店を出して、コーヒー工場もあります。また江陵市が毎年、コーヒー祭りを開いています。そうした様々な要因が重なって、相乗効果を上げているのでしょう」と話している。
しかしその主役は、何といってもチェ代表だろう。彼女は 2000年代の初め、済州島で譲り受けた20本余りのコーヒーの木で農場を始め、今ではコーヒーの苗木を譲る立場になっている。また韓国で初めてコーヒー博物館を建て、コーヒー文化を広めている。旺山面(ワンサンミョン)にあるコーヒー博物館には、チェ代表夫婦が長らく収集してきた世界各国の珍しいコーヒー器具や資料が数多く展示されている。また、訪問客のための多彩な体験プログラムも行われている。
2000年代の初めに江陵港と安木(アンモッ)海岸にできたコーヒー専門店が、今では200店にまで増え、全国的に有名なカフェ通りになった。そのため、江陵はコーヒーの街とも呼ばれている。
「農場を見に来たお客さんが、どんなに探してもコーヒーの実がないと不満げに言うんです。赤く熟した実がたくさんあるのに、どうして見えなかったのかと不思議でした。コーヒー豆は焙煎することで黒っぽくなりますが、そのお客さんは、コーヒーの実も元々、黒いと思っていたんですよ」。
チェ代表は、そんな話をしながら「コーヒーは今や韓国の代表的な嗜好品ですが、まだまだ正しく知られていません」とも話している。12月中旬、江陵市内にオープンする二つ目のコーヒー博物館も、コーヒー文化を広めるためのチェ代表の努力の一環だ。
コーヒーカッパー1号店のオープンから、いつしか16年。そこでコーヒーを飲んだ恋人が、今では夫婦になり子供の手を引いてやってくる。いすも古びて、床もきしむが、チェ代表は何も手を入れずに昔のままの姿を保っている。誰かの思い出を壊したくないからだ。その思い出を懐かしむ人たちが、またコーヒーを飲みに江陵を訪れる。