プデチゲ(部隊チゲ)は韓国戦争後に生まれた料理だ。休戦直後、3度の食事はおろか1食も口にできない貧しい時代に登場したボリュームたっぷりでスタミナ満点なプデチゲは、人々に大きな慰労を与えてくれた。量だけではなく、西洋の食材を韓国人の手でさらに豊かなものにした味もまた、絶品だった。
キムチやコチュジャンなどの韓国食材に、ハム・ソーセージ、ベイクドビーンズなどの西洋食材を加えて作るプデチゲは、東洋と西洋の食文化の組み合わせが際立つ料理だ。
ある国の食文化の固有性が確立されるには、いろいろな要素が作用する。気候や土壌などが先天的な要素とするならば、自然災害や歴史的な事件などは後天的な要素だ。代表的な歴史的事件には戦争がある。戦争が全世界の食文化に影響を及ぼしてきた事例は数多くみられる。例えばジンギス・ハーンのモンゴル軍隊が世界征服を目指した際に広がった料理として、ヨーグルトやチーズなど乾燥肉や乳製品を使った料理。フランスの皇帝・ナポレオンが兵隊のために質の良い食糧を確保しようと開発を奨励し誕生した缶詰などなどだ。
ブデ(部隊)から始まった味
韓国にもこれと似たような料理がある。1950年に勃発した韓国戦争後に生まれたプデチゲ(部隊チゲ)だ。この戦争は韓半島に大きな傷跡を残した。南と北に分断された韓半島は、両立することが困難な二つの体制が併存する地となった。韓国には休戦後もアメリカ軍が義政府、坡州、平沢(松炭)など、あちこちの地域に駐屯することになった。プデチゲは名前からも分かるようにこのアメリカ軍部隊と関連がある。
プデチゲはだし汁にハム・ソーセージ、ベーコン、ベイクドビーンズ、ひき肉、キムチなどの材料を入れて、味付けにコチュジャンベースの辛い調味料を入れて作る鍋料理だ。ここにインスタントラーメンまで入れるとその味はさらに深まる。朝鮮時代にはなかったプデチゲがどうやって韓国の代表的な庶民の食べ物になったのだろう。
プデチゲの元祖・発祥店として知られているのが、京畿道義政府市にあるオデン食堂だ。この店の歴史をみると、その答えが分かる。オデン食堂の創業者は1960年から屋台でプデチゲを出していた。とは言え、初めからプデチゲというメニューがあったわけではない。オデン食堂のホームページにある記録を見ると、最初はアメリカ軍部隊で勤務していた知り合いが持ってきてくれたハム・ソーセージ、ベーコンを炒めて出していたという。韓国人は「パプシム(ご飯の力)」で生きているという話もあるほどのご飯好きだ。常連客からご飯と一緒に食べられるような汁料理を作ってほしいと頼まれ、主人は悩んだ末に、既存の炒め物に水を入れてそこにキムチとコチュジャンなどで味付けをしてチゲを作った。プデチゲの誕生だ。
肉の味と遜色のないハム・ソーセージ、ベーコンの美味しさは人々を魅了した。さらにピリッと辛い汁はご飯を入れて食べるのにピッタリだった。あっという間に口コミで噂が広がり、客が詰めかけるようになる。オデン食堂が人気を得て評判になると、近くにはプデチゲを出す食堂が相次いだ。今日のような「義政府プデチゲ通り」が誕生した歴史的背景だ。2009年にこの地域は「義政府プデチゲ通り」に指定された。
プデチゲで有名な地域のほとんどが、アメリカ軍の駐屯地域のそばだ。京畿道義政府、東豆川、平沢(松炭)、全羅北道群山、ソウル龍山地区などには、味には少しずつ差はあるもののプデチゲの店が軒を連ねている。
一方プデチゲは「ジョンソン湯」とも呼ばれたりしたそうだ。1966年に訪韓したアメリカ大統領のリンドン・べインズ・ジョンソン大統領(1908~1973)の名前にちなんでつけられたという説が有力だ。
プデチゲが最初に作られた京畿道議政府にあるプデチゲ通り。毎年この通りでプデチゲ祭りが開かれる。
© 議政府市商圏活性化財団
味を完成させる材料
西洋ではハム・ソーセージは焼いて食べたり、パンの間に挟んで食べるものだ。これを汁に入れて煮込んでから汁と一緒に食べるというのは、西洋人には想像もできないだろう。
韓国人にとって汁物料理は食事に欠かせない存在だ。たっぷりとした汁の中で煮込んだハム・ソーセージは食べごたえもあり柔らかい。またハム・ソーセージ特有の脂っこさが汁に溶け込んでいる。そこにベイクドビーンズとキムチを加えることでプデチゲの看板メニューとなる。風味を出すのに卓越した役割をするからだ。ハム・ソーセージの食べごたえのある食感に飽きた頃に出会うのがよく煮えた豆料理で、舌の憩いの場となってくれる。柔らかい食感に自ずと笑みがこぼれる味だ。よく煮込んだ辛いキムチは、プデチゲの味の陣頭指揮をとる将軍の役割をする。それはキムチが美味しくなければ、たとえほかの材料が良くてもプデチゲ特有の味は出せないからだ。
店によってはラーメンや豆腐を入れたりもする。ラーメンは炭水化物特有の満腹感を与えてくれる。チーズがトッピングされて出てくる店もある。スプーンを入れるとスルスルと伸びるチーズは何とも言えない美味しさだ。チーズを入れて独特な味を出す韓国料理はプデチゲだけではない。タッカルビ(鶏カルビ)、ドゥンカルビ(豚カルビ)、トッポギなど、伝統料理に個性的な味を加えたいと思うときに出番となるのがチーズだ。
豊富な量と多彩なトッピング、コクのある味が絶品のプデチゲは、キムチチゲや味噌チゲなどにも負けない人気メニューだ。
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特色のあるプデチゲの老舗
韓国でプデチゲの店は、どこの町にも3~4軒以上はあるといえるほど多い。フランチャイズのプデチゲ食堂も全国に広がっており、コンビニに行っても市販のプデチゲセットが売られている。しかし、誕生の歴史が刻まれた老舗にはかなわない。またプデチゲは地域ごとに味が少しずつ違い「〇〇派」などと呼ばれたりもする。
ではまず「義政府派」から見てみよう。この派で一番有名なのが3代にわたり味を受けついでいるオデン食堂だ。味の濃い炒め物から始まったチゲは、甘い味をだすベイクドビーンズが入っておらず、淡白な味が特徴的だ。
義政府派のプデチゲに匹敵するのは「松炭派」だ。しかし現在「松炭」は、1995年に平沢市に編入されて行政区域上は消えた地域名だ。
「松炭式プデチゲ」の一番大きな特徴は、牛骨を煮こんだだし汁を使っている点だ。牛骨からとっただし汁なので比較的味は濃く、どろっとしている。牛ひき肉や長ネギなどが入るため、肉と野菜が混然一体となって風味を増している。さらにチーズがトッピングされている。「チェネチプ・プデチゲ」と「キムネチプ」「黄牛チプ」「テンチプ」などがこの地域のプデチゲの老舗だといわれている。1969年当時、小さな飲食店の経営者に、アメリカ軍部隊に勤務する友人らの勧めで、始めた店が「チェネチプ・プデチゲ」だ。「キムネチプ」では注文をする際に、この店だけの厳しいルールを守らなければならない。ハム・ソーセージの追加は最初の注文時だけ可能というものだ。その理由はすでに煮詰まっているだし汁にハム・ソーセージを追加してもしょっぱさがさらに増すだけだからだ。またラーメンを加える時間も正確に守らなければならない。半分ほど煮こんだ時点で入れて食べるのが、麺の煮え具合と味が一番良いというのだ。「黄牛チプ」も牛骨でだし汁をとっており、他の松炭派のプデチゲに比べてあまり辛くないという評判だ。
「坡州派」はプデチゲの二大勢力である「義政府派」と「松炭派」に比べて大衆的な認知度は低いものの、野菜が盛りたくさん入っているので確かなファン層がいる。春菊がたっぷり入るのが特徴だ。汁は牛骨のだし汁ではないので総体的にあっさりとしている。50年以上の歴史を誇る「元祖三叉路プデチゲ」がこの地域を代表する老舗だ。1990年代に営業を始めたという「チョンミ食堂プデチゲ」もこの地域のプデチゲ名家だ。
「群山派」は骨ではなく牛肉でだし汁をとるのが特徴で、平壌冷麺の店のような薄くスライスした牛肉がトッピングされて出てくる。1984年開業の「飛行場正門プデチゲ」がこの地域の老舗だ。おもしろいことにこの店ではハンバーガーも売っている。プデチゲとハンバーガーを一緒に注文する旅行客も多い。
ソウルはプデチゲの名家が多いが、その中でも龍山区梨泰院にある「パダ食堂」がもっとも有名だ。ここは1970年代から営業してきた店で、メニューにはプデチゲという名前の代わりに「ジョンソン湯」と書かれている。
プデチゲは韓国人の創意力が反映された韓国料理だ。時代の過酷な現実に対応して誕生したプデチゲ。人々は依然としてこの辛くて優しい味に過去の歴史の傷跡を癒し、今日の暮らしの辛さを、満ち足りた「プデチゲ」に慰められている。