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길 위에서 > 상세화면

2024 WINTER

石炭産業の跡地に雪の華を咲かせた旌善

旌善(チョンソン)郡は四季を通して魅力溢れる処だ。中でも冬に訪れるとより一層その真価に驚かされるはずだ。真っ黒な石炭貯蔵所と対比をなす純白の雪景色、そして雲の流れと共に歩くトレッキング、さらに全国最大規模の旌善五日市など、韓国を代表する山村固有の姿に出会える。

もしも江原道・旌善郡がなかったなら、今の韓国は存在しなかったかもしれない。その地位を窺うことができる逸話がある。1957年3月9日に咸白(ハムベク)駅開通式典が挙行された。その場には韓国政府を代表してイ・ジョンリム(李鍾林)交通部長官とキム・イルファン(金一煥)商工部長官が出席していたのだが、また式典には二人の賓客もいた。ウォルター・ダウリング(Walter C. Dowling)在韓米国大使とオウ・トウゲン(王東遠)在韓自由中国大使である。険しい奥地に位置する駅の開通式に在韓外国大使が出席したのは、咸白駅の意味が格別だったことを示している。

石炭産業の中心地

咸白駅は当時この地域を貫通していた咸白(ハンベク)線鉄道の駅で、住民の移動をサポートする交通手段でもあったが、主な用途は石炭運搬だった。油一滴も出ない韓国では石炭は電気を作り、工場を回し、学校を運営し、寒い冬を乗り切るための暖房に欠かせない大切なエネルギー源だった。旌善(チョンソン)は1950年代~1980年代まで韓国における「No.1」のエネルギー供給元だったのである。旌善の存在が現在の発展をつくりあげたと言っても過言ではない。

民営炭鉱の中心地だった旌善には、韓国最大の民営炭鉱である東原炭座舍北(ドンウォンタンザ・サブッ)鉱業所をはじめ、三陟炭座(サムチョクタンザ)の浄岩(チョンアム)鉱業所、紫味院(ザミウォン)炭鉱、墨山(モクサン)炭鉱など、最盛期には36にも及ぶ炭鉱が長い間活況を呈した。全国からの莫大な石炭需要は、かつてない好況をもたらしたのだ。タクシー運転手にとって最高の黄金路線が旌善郡の舍北にあるという話が広がり、かつて某家電量販店が全国最高の販売実績を誇った地域でもあるという。さらには「町中をうろついている野良犬も1万ウォン札を口にくわえている」というジョークもあった程だ。

クゴンタン市場の名前は、穴(ゴン)が9つ(ク)ある練炭から由来した。市場のあちこちで九空炭と鉱夫をテーマにした様々な芸術作品を鑑賞することができる。

状況が急変したのは1980年代半ばに入ってからだ。原油価格が安定化したのに対し、石炭採掘コストは日々増加し、石炭需要の減少傾向が続いた。その結果、「石炭産業合理化政策」が導入され、採算が合わない炭鉱は廃鉱とする措置がとられた。その結果、全国347箇所に及ぶ炭鉱の大部分が1990年代を迎え、廃業するに至った。何とか生き残っていた太白・長省(テベク・チャンソン)鉱業所も2024年9月に廃鉱となり、来る2025年には三陟道渓鉱業所まで廃業する計画だ。今後、韓国の炭鉱は民間が運営する三陟慶東(サムチョク・キョンドン)炭鉱を残すのみとなる。

芸術空間として蘇った石炭鉱山

かといって鉱山が歴史から完全に姿を消したわけではない。危機をチャンスに変える韓国人特有の気質は、産業の大転換で見捨てられた空間さえも新しい姿に再生させることに成功している。三炭アートマイン(SAMTAN ART MINE)が代表事例である。

三炭は三陟炭座の略語で、アートは文字通り芸術。1964年~2001年まで38年近く運営され、閉鎖された三陟炭座(サムチョクタンザ)の浄岩(チョンアム)鉱業所を芸術空間として再生させたのだ。独特なのは、昔の産業の痕跡は最大限保存しながら、その上に芸術を重ねたという点だ。「アートマイン」という名前がついた理由だ。

咸白山の標高850メートルのところにある三炭アートマインは、1964年から2001年まで運営されていた三陟炭座施設を活用し、文化芸術空間へ生まれ変わらせた国内初の芸術鉱山施設である。

最初に、三陟炭座当時は総合事務棟として使われていた三炭アートセンター本館から行ってみよう。初っ端から共同シャワー室のサイズに圧倒される。千人を超える鉱山労働者が同時に利用できる巨大なシャワー室である。天井には一度に水を噴き出すことができるシャワー機が四方についている。その真下には様々な現代美術と写真作品が展示されている。そしてもう片側にはつい最近まで他の鉱山で石炭を掘り出していた鉱員の姿を撮った写真展が行われている。

真っ黒になった作業靴を洗うための靴洗い場と作業服の洗濯室、全体的な機械設備を管理運営していた総合運転室などもギャラリーへと変身した。昔のものと新しいもの、産業施設と芸術作品とが混然一体となって独特な雰囲気を演出している。採掘道具や当時の写真、資料など、三陟炭座の栄えていた時代をうかがえる博物館もある。

本館の裏手にある建物にはレール・バイ・ミュージアム(Rail by Museum)がある。三炭アートマインの入口から見える高さ53メートルのどっしりとした鉄塔のある建物だ。その中には2基の垂直巻き上げ機が設置されている。これは掘り出した石炭を地上に引き上げたり、鉱員が垂直坑道を上り下りする際に使っていた産業用エレベーターの一種で、一度に400人の鉱員、20トンの石炭を4分ごとに輸送できる施設だ。

巻き上げ機のすぐ下にある直径6メートルの垂直坑道は、真っ暗闇に包まれていてその深さは計り知れないほどだ。キュレーターによると、垂直坑道の深さは地表面から地中およそ653メートルに達するという。パリエッフェル塔の高さは324メートル、韓国で最も高い建物であるソウルのロッテワールドタワーが555メートル。中国の上海タワーが632メートルなのだから、この垂直坑道の深さがどれ程深いのか十分把握することができる。その前に立っていると、今の韓国を築き上げた「地中の産業戦士たち」が経験したであろうものすごい地熱と湿度、そして果てしない恐怖感を感じることができる。

すぐにでもレールの上を走り出しそうなトロッコとコンベア、垂直坑道の鉄構造物とワイヤーロープなど、有機的に動いていた当時の状況がよく保存されている。三陟炭座浄岩鉱業所の昔の雰囲気を最もよく感じることができるこの空間は、今や一つの巨大な芸術作品そのものとなり、大きな感動を与えてくれる。

そして近いうちにこのような空間がもう一箇所誕生する予定だ。昔の東原炭座舍北鉱業所にできる舍北炭鉱文化公園だ。2025年上半期の開館を目標に作業に拍車がかかっている。

雲も嘆いて越える道

三炭アートマインと舎北炭鉱文化公園が、歴史遺産を活用した芸術と歴史との出会いの場所なら、かつて石炭を運んでいた「運炭高道」の歴史的ルートは、自然の美しさを満喫しながら壮大な道のりを体験できるスポットとして知られている。

冬の雪花登山で人気の咸白山(ハンベクサン)を登る登山客

運炭高道とは「石炭を運搬するために開通した高台道路」という意味で、実際、道路が敷かれた所の平均海抜高度は546メートルに達する。中でも最も高いところにある晩項(マンハン)峠の海抜高度1,330メートルにちなんで「運炭高道1330」という公式名称で呼ばれている。

運炭高道は旌善を含め、大きく四つの自治体を通る。旌善郡西側の寧越(ヨンウォル)から始まり、旌善と太白(テベク)を過ぎて東海沿いに位置する三陟(サムチョク)までつながる長さ173キロに達する道である。全9コースで、中でも最大ポイントとなるのが旌善を通る4コースと5コース。それもそのはず、その名に相応しく石炭を運搬していた当時の様子がよく保存されていると同時に、石炭産業合理化の政策以降に人々の足が遠のいたことで、自然の回復が早まったコースである。

まず、4コースは旌善の礼美(イェミ)駅から始まってコッコッキ峠(花節嶺、ファジョルギョン)まで続く28.76キロの区間である。「運炭」の歴史がそのまま残っている道だが、今は天恵のトレッキングコースと言えるほど歩きやすい道だ。特に、チョン・ジヒョン(全智賢)とチャ・テヒョン(車太鉉)主演の映画、『猟奇的な彼女(2001)』に登場する松の木が立つタイムカプセル公園内の鳥飛峙(セビジェ)に登ると、周辺の風光のおかげでトレッキングの醍醐味を満喫できる。この4コースは平均9時間30分程かかり、403メートルから1,197メートルへと高度が徐々に高くなる。

5コースはコッコッキ峠から晩項(マンハン)峠まで続く。コッコッキ峠を過ぎてすぐの所にあるトロンイ池は、1970年代の石炭採掘の地盤沈下でできた池だ。その後、鉱員の妻たちが池に住むサンショウウオに夫の無事帰還を祈る場所になったという。池の水が抜けると、坑道が浸水し崩れるということで、サンショウウオ、鉱員もろ共無事ではないということから由来した話なのだろう。5コースの長さは15.7キロで、ゆっくり歩いても6時間あれば十分だ。海抜高度1,067メートル地点から自動車で行ける最も高い所である晩項峠(高度1,330メートル)までは上り下りを繰り返しながら、高度を増していく。かなり大変そうだが、右側に拡がる景観を眺めながら調子よく歩いている自分に出会うだろう。

咸白山の晩項(マンハン)峠は、車で行ける韓国で最も高い山岳道路。おかげで、苦労して山道を登らなくても楽に雪国の風景を満喫できる。

4コースと5コースには雲炭高道ならではの共通点がある。世界各地のトレッキングコースとは異なり、傾斜が緩やかで表面が平坦だという点だ。もともとトレッキングルートとして開発されたわけではなく、石炭運搬のための大型トラックが通れるように造られた道だからだ。そんな理由からトレッキングだけでなく、マウンテンランニングやマウンテンバイク(MTB)などを楽しむ人たちにもこの上なく恰好な旅行地として評価されている。ノルディックスキーはもちろん雪そりを持参し楽しむ旅行者もいる。また、コースの途中には広い大地もあり、テントや寝袋などを備えているバックパッカーたちの聖地としても有名だ。

かつて晴れた日には浮遊する炭塵が空と地を黒く覆い、雨の降る日には長靴なしでは歩けない泥道だった所、「険しい山道や急な坂が多く、雲さえも嘆くほどの厳しい道のり」と象徴された運炭高道だったが、今では真逆の意味合いが与えられている。すなわち、真冬に運炭高道を歩いていると、足元には白い雪が広がりまるで雲の上を歩いているような感覚は、不思議な銀世界にいるようだ。

兵防峙スカイウォークの展望台からは、韓半島の形をした島を回るように東江の水が流れている秘境を見下ろすこともできる。


クォン・キボン權奇鳯、作家
シン・ジュンシク申中植、写真家

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