カーティス・カムブさんは冒険心から韓国という見知らぬ国に大学の交換留学プログラムで来ることになった。そして12年後、彼は二つの音盤レーベルを運営し、韓国の有名なミュージシャンであるパク・ジハと結婚し、中古レコードショップ2店舗を運営するようになった。
ソウル麻浦区上水駅近くにある2軒目のビンテージレコードショップのモザイクウエストで音楽を聴いているカーティス・カムブさん
今日のデジタル時代にはスポティファイ(Spotify)、アップルミュージック、ユーチューブミュージックなどのプラットフォームで好きな音楽を手軽にストリーミングできる。しかし、全世界的にLPアルバムが再び流行しており、その勢いは当分の間続くものとみられる。アメリカのレコード産業協会によれば、世界最大規模の音楽産業を保有するアメリカでは去年LPの売上高がCD売上高を上回ったという。テイラー・スウィフト、ビリー・アイリッシュなどのポップスターからKポップアイドルBTSまで、多くのアーティストがLPでアルバムを発売しており、若者層がLP人気をリードしている。
ソウルで2つのビンテージレコードショップを運営しているカーティス・カムブさんにとってはこのようなトレンドはごく自然なことだ。彼はフランスのニースで生まれ育ち、17歳で故郷を後にしてパリに向かった。その後、全世界を旅すると決心し、ニューヨークや東京などではなく最も見知らぬ都市であるソウルを選んだ。2012年に韓国に到着したカムブさんは交換留学課程を終えた後、高麗大学校で経営学を学んだ。
彼は音楽のおかげで自らのビジネス感覚に気づくことになる。音楽愛好家として何年もの間、中古音盤(レコード)業界の人々と人脈を築き、その音盤コレクションはどんどん増えていった。2020年には光熙門近くの新堂洞に最初のビンテージレコードショップの「モザイク」をオープンした。新堂洞の町が有名になる前のことだった。最初の店が成功すると、彼はオンラインショップを始め、去年は弘大近くに2店舗目のショップをオープンした。才能はあるが海外に販売ルートを見つけられずにいる韓国内のアーティストを発掘し、海外に紹介するためにブレインダンス・レコーズを通じて韓国のエレクトロニック・アーティストのアルバムも制作し始めた。
また大韓エレクトロニックスを立ち上げ古いアルバムを再販売したり、韓国のアーテイストのニューアルバムを出したりもした。彼はこのアルバムについて「歳月が流れて忘れ去られようとしていたのを救った作品たち」だと説明する。ショップを管理し、蚤の市でレコードを探し、毎週事務所に入庫される数千枚のレコードも分類する。そんな多忙な日々を送っているが、余裕があるときには昔からの趣味であるDJを楽しんだりもする。
音楽を好きになったのはいつ頃?
幼いころ、母がLPレコードとCDを持っていて、いつも音楽を聴いていました。母は友人たちがくれたミックステープを車の中で聞いていたものです。ソウルミュージックが特に好きで、デペッシュ・モード、ヒューマン・リーグのような英国のシンセポップ(1970年代末~80年代に流行したポピュラー音楽)をよく聞いていました。
特に好きなジャンルは?
若いころはヒップホップをよく聞きました。家では主にビッグ・ダディ・ケイン、マーヴィン・ゲイ、シャデイなど伝統ソウル音楽を楽しんでいました。しかしサイケデリック・ロックのジャンルにも惹かれはじめ、あれこれと聞いています。6カ月から1年ほど一つのジャンルを集中的に聞いて、また他のジャンルに移ったりします。韓国に来た当時にはアバンギャルド、実験音楽、エレクトロニック音楽など多少特異な音楽に関心を持っていました。
韓国に留まることになったきっかけは?
端的に言うのは難しいのですが、韓国社会で自分の役割を見つけたというか。韓国の音楽産業の市場は競合相手のないブルーオーシャンだと思いました。自分なりの方法で人々を手助けすると、人々も私を助けてくれました。そして自分なりの方法で社会に溶け込みながら自然に定着しました。
卒業後にはどんなお仕事を?
現代カードの海外マーケティング(フランス関連)チームで働きました。その後、国内マーケティングチームに移り、音盤売り場のヴァイナル・アンド・プラスチックで音盤コレクションを担当することになりました。しかし、仕事は楽でしたが面白くはありませんでした。
音盤レーベルを始めることになったのは?
まわりに海外でも十分通じるレベルのアーティストがいましたが、人脈がなくて海外で音盤を出せずにいました。メジャレーベルには人脈のある人たちでしたが、アンダーグラウンドの方式は完全に違います。私は配給社や音盤社の代表をたくさん知っていたので、ヨーロッパで音盤を発売、配給することに決めて進めることにしました。
最も記憶に残るプロジェクトは?
私にとって最高のプロジェクトはピュアデジタルサイレンス(PDS)というバンドでした。本当に実力のある素晴らしいメンバーでしたが、私が出会った頃はコンサートを長期休業中でした。依然として騒音実験をしている二人の男性だけが残っていました。それでまたバンドを集めてウェルメイドアルバムを発売することになりました。アルバムはある学生が1990年代後半にピュアデジタルサイレンス・バンドについて作ったアマチュア・ドキュメンタリーをデジタル・リマスタリングしたものでした。全部英語に翻訳してプロジェクターを探して、20年ぶりに初めてライブで上映しました。本当に多くの方が来てくれて全席完売を記録しました。大きな冒険でしたが私にとっては人生で最高の瞬間の一つとなりました。
海外での反応は?
多くの人々、特に在米韓国人から感謝するという連絡をたくさんもらいました。彼らは韓国語が流暢ではありませんが、反応は同じでした。彼らは自らに韓国的なアイデンティティがあると感じてはいるが、韓国にも非主流文化を一緒に楽しむコミュニティがあることを願っているというものでした。
ビンテージ・レコードショップを運営することになったきっかけは?
もともとピュアデジタルサイレンスの2枚目のアルバムを販売しようとしましたが、当時はコロナ禍が始まり配送費が問題でした。配給社に送る損失が大きいと思いました。現代カードから転職し、社会統合プログラムを通じて居住ビザに変えようとしていた過程で仕事もあまりしていなかったので、このプロジェクトに数百万ウォンを投資するだけの余裕がなかったんです。ビザが出た後に、今のビンテージ・レコードショップのモザイクを始めることができました。
ソウル中区新堂洞の古くからある住宅街にあるモザイクソウル ⓒ モザイク
ショップの場所として新堂洞を選んだ理由は?
新堂洞から遠くない昌信洞に住んでいたことがありました。それに早く場所を決めなくてはならない状況でした。当時予算が非常に不足していましたが、妻は光熙門一帯が良いと言ってましたので不動産屋を何カ所か当たってみましたが、一様に「ない、ない」という返事ばかりでした。私は年配の方とも気さくに会って話をします。その際、韓国語も流暢ではなかったんですが、人々の心を開かせる私なりのテクニックがありました。その後、数週間ビタミンドリンクを買って不動産屋を何度も訪ねました。するとある日突然、空き店舗が出たという連絡がきました。すぐに行ってみると、まだ告知もしていない物件でした。行って見てすぐにピントときたんです。値段もちょうどよく、とても魅力的な空間でした。
モザイクの人気の秘訣は?
多様性とクオリティ、そして継続して新しいアルバムが入ってくるからです。一週間に一度ずつ大量のレコードが入庫します。本当に最高の音盤は出会うのが難しいので、特別な音盤だけ入手しようと努力しています。
顧客の一般的な年齢層は?
なかなか幅広いです。中でも20代~40代がほとんどですが、40代世代は特に幅が広いです。
彼とスタッフは売り場に陳列されたアルバムや本に関連した情報を、手書きのポップにして付けている。
二つのショップはどのように差別化している?
1号店はアフリカ、ブラジル、レゲエ、珍しいグルーヴ(アメリカの1960~70年代、ソウル、パンクなど)などワールドミュージックに集中しています。それでジャズ音盤もたくさん置いています。2号店はより「ストリートミュージック」に近く、ヒップホップ、ハウス、テクノ、ディスコ、1980年代のダンス音楽、ニューヨークで形成された様々な音楽と、オルタナティヴ・ロック、インディ―、ニュー・ウェイヴ、ポストパンク、パンク・メタル、トラッシュ、ハードロック、ロッククラシックなど多数取り揃えています。
ショップを訪れる顧客にはどんな経験をしてもらいたい?
人々がレコード売り場を経験できるようにしています。図書館と同じです。私たちが細かく分類し陳列している様々なジャンルの音盤を聞くことで自分の音楽スタイルを発見してもらいたいです。
夫人とはどこで出会ったの? 一緒に働いているの?
5年前に出会いました。妻のアルバムを販売したかったのですが、妻の音盤社がすでにその役割をちゃんと果たしていたので、結局販売はしませんでした。妻はその分野ではなかなか有名人です。アマゾンMGMスタジオが公開した「敵」(2023)という映画のサウンドトラックに参加したこともあります。多くのプロジェクトから協業提案を受けており、海外での作業では私が英語のコミュニケーションを助けています。
彼はモザイクを通じて多くの人々が様々な音楽を体験して欲しいという。
今後の計画や望みは?
中古の音盤産業が一つのビジネスとしてきちんと認められればうれしいです。韓国ではまだ専門性を認めてもらえません。正式のビジネスとして認められ、国内により多くのショップが生まれて、若者たちが働きたいと思うような職場になることを願っています。