文字を手書きで書くことがほとんどないこの時代に、何かと不便な万年筆を愛する人たちがいる。彼らにとって一本の万年筆はささやかな幸せであり、贅沢な逸品だ。もし大切な万年筆が書けなくなってしまったらどうするか。彼らの傷ついた幸せを直してくれる、万年筆の修理を職業とする人がいる。
文字を手書きすることが少なくなっている今の時代に、万年筆の修理を職業としているキム・トㇰレ(金徳來)さん。彼はこの仕事を単にペンを修理して終わりではなく、ペンを通して真心をつなぐことだと考えている。
「万年筆の美徳、万年筆へのこだわりを半分でも持っている人は、我々の中にはいない」とアメリカの小説家マークトウエインは言った。「インクが泉のように湧いてくる」という意味のファウンテンペンを韓国では万年筆と呼んでいる。『千年万年』つまり、永遠に使い続けられるペンという意味だ。もちろん世の中に永遠なものなどなく、万年筆も例外ではない。ペン先は摩耗し、誤って落としてしまったら破損もする。長い間放置すればインクが乾燥して固まり、その機能を失なう。
修理した万年筆で書き添える手紙
彼の作業場は部屋についた小さなドレスルームだ。そこには修理を待つ顧客の万年筆、修理道具、各色インク、そして顧客から届いた手紙やプレゼントなどであふれている。
彼は道具の代わりに素手と爪で万年筆を修理する。人間の指先ほど敏感で、精密な道具もないと考えているからだ。
万年筆を購入するのは簡単だが、壊れた万年筆を修理するのは難しく、そして手間がかかる。国産ブランドのモナミを除いた大部分の万年筆は輸入品だ。国内で購入した輸入万年筆が書けなくなったら、購入先に持って行き修理を頼むのは可能だ。しかし、並行輸入品を購入したり、海外で購入した物の場合などは、実際に修理を頼めるところはほとんどない。国内で購入した商品でも損傷の程度が深刻なら、大切に使ってきた万年筆でも修理不可能の判定を受けるかもしれない。また両親の遺品や古いスタイルのビンテージ万年筆などが損傷した場合は、尚のこと託せるところはない。よって万年筆のユーザーたちにとってキム・トㇰレ(金徳來)さんは、なくてはならない存在だ。万年筆の修理を仕事としている人は滅多にいないからだ。
彼は老年期に入ったお年寄りではなく、中学生と高校生の二人の子供をもつ1974年生まれのお父さんだ。京畿道金浦市にあるアパートに住み、その一室についた一坪ほどのドレスルームが彼の作業場だ。いろいろな万年筆と色とりどりのインク瓶、壁に貼られたメモ、作業台とPC、小さな冷蔵庫などが隙間なく置かれている。一方の壁の窓からは手のひらほどの陽の光が差し込んでくる。狭いが居心地のよい空間だ。
彼の一日は朝7時ごろに始まる。学校に行く子供たちがいるので、寝坊をする余裕はない。
「妻と交代で子供たちの朝ごはんを作ります。子供たちを起こして、簡単にシリアルなどで朝食を食べさせ学校に送り出すと9時ごろになります。それから私の日課が始まるんです」。
彼に預けられた万年筆は三通りに分類できる。落としてペン先が完全に損傷してしまった場合、外見は問題ないように見えるが書き心地が以前とは違う場合、本当は問題ない状態なのだが使う人が「正常なコンデイションなのか分からない」と感じる場合だ。ようするに、深刻、軽微、正常の三通りに分かれる。「深刻」に分類される万年筆の大部分はペン先が壊れてしまったケースだ。ペン先は万年筆の心臓であり、最も高価で繊細なパーツだ。それだけ注意して扱わなければならない。
「曲がった部分をペン先よりも強い道具で開くとさらにひどく折れてしまったりします。修理する際には爪で少しずつ広げていくのが、私には一番良いやり方なんです」。
道具の代わりに素手を使う理由だ。指先ほどデリケートな道具、爪ほど精密な道具はない。ペンを分解してペン先をしっかり握って、内部を洗浄し、またつなげてインクを注入すれば修理は終わるが、実はその後の作業に時間がかかる。修理した万年筆を直接使ってテストをしなければならないからだ。
「万年筆を半日ほど横に倒しておいてから使ってみて、その次の日には一日中、立てておいてから使ってみます。逆さまに置いたりもします。どんな状態でもよく書けなければならないからです」。
三通りの修理の中で「深刻」の場合よりも難しいのが「軽微」の場合だ。使用する人がそれだけデリケートだという証拠なので、作業する際にもより繊細になる。使用中に生じるであろうすべての事態を想定してくり返しテストをし、完璧な状態に仕上げなければ安心できない。一日で作業が終わることもあるが、長い時には10日ほどかかる場合もある。作業が終われば修理した万年筆を使って顧客に手紙を書く。
「ペンの修理を終えたら、そのペンで直接手紙を書いて一緒に送ります。手紙には『依頼されたペンをどのような過程を経て修理したのか』内容が分かるように書きます。手紙にはなぜ問題が生じたのか、どんな措置をしたのか、どんなテストをしたのかを書き、今後使用する際の注意点なども書き添えます。手紙は修理の結果を、万年筆がこんなにうまく書けるようになったことをお知らせする手段であり、手書きの手紙が珍しい時代にペンで書いた手紙を受け取る喜びをも伝えるためでもあります」。
その時間にペンをもう一本修理する方が良いのではないかという人もいるが、彼にとっては意味のある過程だ。物品を直すことが心と心をつなぐことに変わるからだ。
新たな選択
損傷の程度に合わせて適切な修理をすれば作業は終わると思われがちだが、本格的な仕上げはその後始まる。いろいろな状況を念頭に置いて、何度もテストを繰り返してから、顧客に届けるからだ。
江陵が故郷のキム・トㇰレさんは高校卒業後、三陟産業大学校土木学科に入学した。2年の1学期を終えて兵役の義務につき、復学して通学の途中のある日、道で偶然高校時代の友人に出会った。自分が通っている学校が実に面白いから、お前も一度うちの学校について調べてみろと言った友人の言葉が奇妙なほど心に刺さった。
友人の勧めで大学をやめたその年、ソウル芸術大学校文芸創作科に入学した。卒業後には専攻と関係のないアパレル売り場の運営、社会福祉士、海外配送業、日本料理の調理師、自動車整備、レジャー用品メーカーなどを転々として、2012年に輸入筆記具流通会社に入社した。特別な経歴もない自分を気遣ってくれる社長の気持ちに応えようと他の社員よりも早く出勤して、遅く退社しながら一生懸命に仕事を覚えた。
顧客管理が主な業務だったが、ある日「顧客の万年筆に問題が生じた場合、解決してあげられれば良いのに」という考えがひらめいた。退社後と週末に自分の万年筆をわざわざ壊して直しながら修理する方法を独学で身につけていった。顧客の万年筆を直したことで、だんだんと万年筆のユーザーたちの間で噂が広まり、地方のある大学から講義をしてほしいという要請と校内のウェブマガジンに書いて欲しいという依頼を受けた。それを契機に講義と連載が始まった。
「人生の選択の岐路に立つ時がきたんです。安定した職場にいるか、自分のやりたいことをするか。妻はあきれていましたが、結局会社を辞めました。それが2020年のことでした」
収入は減っても幸せはふくらむ
顧客は小学生からおじいさん、おばあさんまで幅広い。職場で出会った人、掲載された文章を見て連絡してきた人、顧客の紹介を受けた人、インターネットの検索で彼を見つけた人などが主な依頼主だ。電話、メール、SNSなどで先に相談を受けた後、作業の進行方法を伝えて、宅配で万年筆を送ってもらう。
「顧客が自分で解決できる場合には方法を教えています。修理が必要な場合には費用がどのくらいかかるか、時間がどれほどかかるかを説明した後、よく考えてから送るようにと話します。いろいろなケースがある中で、のんびりと待つことのできる方の依頼にだけ応えています」。
安くて4~5万ウォン、場合によっては40~50万ウォンほどの費用が発生し、期間は3カ月から5カ月ほどかかることを事前に説明する。ひと月に20~30本ほど修理をするが今現在、修理中と待機中の万年筆が40本ほどある。
「ひと月のうち20日間は万年筆の修理に集中します。残り10日のうち1週間は文章を書き、そして2~3日は江陵にいる両親に会いに行きます。ひと月に一度は江陵に行くこと、2週間に一度献血に行くこと、そしてときどき散歩をすること以外には、外出することはほとんどありません。週末も休日もありません。この空間が仕事場であり、休息の場です。窓がなければ昼夜の区別もつかないでしょう。食事をとるのもときどき忘れてしまうほどですから」。
朝9時に始めた作業は夜9時、12時、時には翌日の明け方まで続く。修理、テスト、相談、作業過程の記録、直筆の手紙を書き、顧客たちと挨拶を交わすなど、一日のスケジュールはびっしりだ。
「ひと月に10本も修理できない場合もあります。いつからか速度がむしろもっと遅くなりました。前にはこの程度ならと考えていたことも、今では満足がいくまでかかるからです。最高の状態に仕上げるのが私の仕事の流儀です。狭い作業部屋にいますが、全世界のペンに触ることができる職業です。作業時間を短くすれば収入は増えるかもしれませんが、私の心は満たされないでしょう。そして誰よりも真剣に万年筆に向き合う修理工がいることを分かってくださる顧客がいる、それで幸せです。こんな風に生きるのが好きなんです。私が選択した人生ですからね」
ファン・ギョンシン黄景信、作家
ハン・ジョンヒョン韓鼎鉉、写真家